江戸の大火に襲われたオランダ商館長ワーヘナールの手紙から伝わるもの

明暦の大火の混乱と日本人の強い責任感
フレデリック・クレインス プロフィール

江戸の混乱

ところが、ワーヘナール一行が出た通りは、多くの避難民の群衆が押し寄せ、まったく進めなかった。問題は、治安のために設置されていた各通りの木戸が閉鎖されていたことと、通りが車長持で塞がっていたことであった。刻々と近づいてくる炎を避けながら、必死になって、屋根によじ登ったり、寺院の竹垣を潰したりして、なんとか命を取り留めたとワーヘナールは感情に訴えかける調子で語っている

 

この避難について、日記には記されていない内容が前述の10月12日付の総督宛の手紙に記述されている。その内容は、次の通りである。

「恐怖に怯える哀れな難民でいっぱいの狭い通りは使えなかった。なぜなら、その通りは木戸や(彼ら〔日本人〕がこのような危機の時に家財を入れて運ぶ)荷車であまりにも混雑していたので、誰も出入りすることができなくなった。そして、これらの哀れな人々の目の前に恐ろしい炎が迫ってきたのに、彼らはそこに留まっていた。彼らは早々と自分の家財から離れるくらいなら焼死する方を選んでいるようにみえた。しかし、我々は生身以外何も携帯していないし、猛威を振るう炎に追いつかれ、取り囲まれるのが目に見えていたので、最終的にそれらの荷車の上、そしてさらに人間の上をよじ登って進んだ」。

このワーヘナールの記述は、通りでの混雑やオランダ人の必死さを克明に伝えている

江戸の惨状

他方、ウットヘンスに宛てた3月23日付の方の手紙によると、大火が終わった後、ワーヘナールは、くすぶる瓦礫の中を抜けて、焼失した定宿に向かった。途中、散乱している数多くの焼死体に遭遇した。多くは子供の死体だった。これらの焼死体を見て、涙を止められなかったとワーヘナールは手紙に綴っている

また、こちらの手紙の方では、江戸城の焼失についても詳細に書かれている。特に「華麗な天守閣」「華麗な橋」「重い門」がすべて倒壊していたことは印象に残ったようである。また、将軍・家綱が三ノ丸の「茶屋」に逃げ込んだことも特筆している。

ワーヘナールは、オランダ人に同行していた料理人・長兵衛が炎から逃れようと城壁の上から飛び降りて死んだことにも言及している。長兵衛の遺体を探させ、埋葬したことも付け加えている。

ワーヘナールは手紙の最後に長崎に戻るまでにウールの衣服を用意しておいてくれるようにとウットヘンスに依頼している。それは、火事に巻き込まれた時に薄い服しか着ておらず、冬用の服が全部焼けてしまったからであった。以上が3月23日の手紙の概要である。

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