江戸の大火に襲われたオランダ商館長ワーヘナールの手紙から伝わるもの

明暦の大火の混乱と日本人の強い責任感
フレデリック・クレインス プロフィール

大坂から発した手紙はどのような内容だったのか

早速、手紙の内容を確認してみた。ワーヘナールはまず大火前の江戸での出来事について簡単に報告している。2月16日に江戸に到着し、27日に若き将軍・家綱への謁見が実現した。幕府高官との関係も良好で、余分に持参していた贈物の販売で3000銀両(約6000万円)を稼いだというような内容である。「しかし、幸運が我々にほほえみかけてくれた出だしが我々にとって順調で有望だっただけに、不幸で悲しい結末になったとワーヘナールは綴っている。

 

次にワーヘナールは明暦の大火での経験談に移る。大目付井上政重の屋敷に招待されていたオランダ人は、大目付と楽しく談話していた。料理も運ばれて来たところ、江戸の北側に恐ろしい火事が発生し、炎は強い北風で街の中心に向かって押し進んでいた

大目付は消火活動の責務を果たすためにその場から離れたが、オランダ人には屋敷に居残るようにと伝えた。しかし、ワーヘナールたちは定宿の長崎屋に戻る決心をした。許可を得た上で、屋敷の外に出た。

大目付の屋敷の前で馬に乗ったところ、炎が強い風によって迫って来るのが見えたので、ワーヘナールたちは馬に鞭をあてて、急ぎ宿に向かった。

宿に戻ったところ、日本人の使用人たちは、オランダ人の荷物を土蔵に運んでいるところだった。ただ、その時点での火事の状況からは、オランダ人の宿が炎の餌食になるとはワーヘナールたちにはまったく想像できなかったという。

迫りくる炎、あふれる避難民

しかし、午後4時と5時の間にワーヘナールは不穏な光景を目の当たりにする。手紙ではその光景を次のように記述している。通りは避難民であふれていた。荷車が多く、その上に子供や老人が乗っていた」

ここで言及されている「荷車」とは「車長持」のことである。長方形の木箱の底部に車輪が付いていて、避難時に荷物を入れて持ち出せる便利なものだった。荷物だけでなく、子供や老人もその上に乗せていたということがワーヘナールの手紙から分かる。

車長持を押して逃げる避難民たち(『むさしあぶみ』国立国会図書館所蔵)

この光景を見たワーヘナールは、火事の全体像を掴むために定宿の屋根に登って、江戸の街を見渡した。ワーヘナールがそこで見た光景は「押し寄せて来る泡立つ炎の海」だった。ワーヘナールは、現金の入っている書箪笥を長崎奉行の屋敷に届けてもらうために長崎奉行所の役人に託し、自らは、「嘉右衛門」という役人頭と共に逃げることにした。

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