ジャーナリスト・安田純平さん

もはや「自己責任」ではない…ジャーナリスト安田純平が経験した地獄

シリア監禁生活、3年4ヵ月の全貌

西牟田靖さんは、「歴史と記憶」「国境と国家」「家族」といったテーマに向き合うノンフィクション作家。2019年11月上旬に出版した『極限メシ!』(ポプラ社)では、冒険家や紛争地の看護師、シベリア抑留の経験者など、様々な「極限状況」を生き抜いた人たちに「何を食べ、どう生き抜いたか」を聞くことを通じて、食べることと生きることの意味を問い直しています。

そんな西牟田さんが昨年末の12月20日、高円寺パンディットにて、ジャーナリスト・安田純平さんに公開インタビューを行いました。

安田さんは紛争地を中心に取材活動を続けており、2007年から9ヵ月間、イラクの基地建設現場などで爆弾降り注ぐ中、料理人に扮して取材を経験。2015年6月には、取材のためにトルコからシリアへの国境を越えたところで武装組織に拘束され、3年4ヵ月のあいだ監禁されました(2018年10月解放)。

安田さんは監禁中、何を口にし、何を思いながら、生き抜いたのか。また新刊『戦争取材と自己責任』(藤原亮司 共著、dZERO)でも論じられているように、ジャーナリズムと自己責任の関係を、私たちはどのように考えていけばいいのか。

地獄のような経験が私たちに教えてくれるものとは――。

(構成:西牟田靖、写真:田中悠人)

(左)西牟田靖さん、(右)安田純平さん

西牟田:私は今でこそノンフィクション作家として歴史、国家、国境、家族などをテーマに取材をしているのですが、1990年代後半は紛争地指向だったんです。アフガニスタンへ行ったり、空爆が続く当時のユーゴスラビアを目指したり。でも2000年代以降、日本の旧領土や日本の国境といったテーマを追求するようになってからは紛争地から遠ざかっていったんです。

一方、安田さんはイラクやシリアなどといった紛争地取材を一貫して続けています。私からするとそんな安田さんが頼もしかったし、羨ましくもあった。だからこそ、拘束されたときは心配しましたし、無事に帰ってこられてよかったです。

安田:ありがとうございます。でも、西牟田さんの場合、紛争地に行き続けていたら『僕の見た「大日本帝国」』(情報センター出版局)のような本は出せなかったでしょう。ちょうどイラク戦争のころにその取材をしていましたよね。だから、今思えば行かなくて正解だったのではないでしょうか。

西牟田:そうですかね。今回は拙著『極限メシ!』と安田さんの新著『戦争取材と自己責任』の出版記念のトークということで、安田さんの極限体験について伺っていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

 

怪しい案内人にうっかりついていく

西牟田:極限メシ!』の中で、白川優子さんという国境なき医師団の看護師の話を記しました。2010年代の前半から半ばまで、シリアやイエメンで医療活動をしていて、大けがをした負傷者が次から次へと運ばれてきたりして、心が折れそうになるぐらい大変だったそうです。安田さんがシリアに行かれたのもそのころですね。

安田:シリアより前にイエメンへ行くことも考えました。2015年初頭のことです。内戦が激化していたので、約1万ドル払ってアフリカ側から漁船をチャーターするぐらいしか行く方法がなくて、結局、イエメン行きは断念したんです。

西牟田:その話は知らなかった。

安田:その後、2015年5月の半ばにシリアの周辺取材をしようと思って日本を出たんです。スウェーデンやトルコ国内でシリア人難民に会って話を聞いたり、イスラム国関係の資料を入手したり、シリアの反政府側武装組織の幹部と会ったりしていました。そうするうちに有力な武装組織に受け入れられそうだったので準備に入りました。反政府側が支配している地域には、必ず彼らの関係者と話をつけて入ります。単独で部外者が入って行くと必ずスパイ容疑がかかりますから。以前の取材で知り合ったシリア人もその組織にいたので受け入れは決まったのですが、道案内人が必要なのでその準備を相手側がしているということで待機していました。

西牟田:その後は、道案内人と合流してシリアを目指すわけですね。

安田:6月15日ごろになってやっと「中(シリア側)と話がついた」という連絡が来ました。そして、道案内人との連絡がついて「行くぞ」となったのが22日のことでした。

シリア国境に近いトルコ側の町の道案内人の友人の家へ行き、一緒に晩飯を食べた後、出発。歩いてシリア国境を目指しました。その一帯は山で、すでに夜だったこともあり真っ暗でした。シリア側の武装組織の関係者が国境まで車で迎えに来てくれるはずでしたが、シリア側の暗闇で車を待つのは危険だということで、道案内人が二度、様子を見に行きました。その間、私はトルコ側の暗闇で待っていたんですが、山の中なのでなかなか寒い。その場には私の他にも何組かシリア行きを待っている人たちがいて、彼らとともに暗い中、ずっと待っていました。