photo by iStock

「書く」ことには「希望」がある

『最高の任務』が生まれた背景
「書く」とはどういう行為だろうか? 表題作が芥川賞候補作にも選ばれ、話題を呼んでいる青春小説集『最高の任務』。そのなかで目を引くのは緻密でヴィヴィッドな情景描写だ。同書をめぐって「書く」こと、「描写する」ことを著者・乗代雄介が語るエッセイ。

公園で100円ショップのマットを敷いて

この2年で「生き方の問題」と「最高の任務」しか発表していないけれど、よく書いたなと思い返しているのは、そうでないものをたくさん書いていたからだ。ボツになった小説、毎日の本からの書き写し、書くことについての考え事、飛び石の日記じみたこと、近所の大きな公園に通って小一時間座っての描写、同じく旅先での描写。

描写というのは、自然の中で人気のない、ここと決めた場所に100円ショップで買ったチップとデールが遊ぶ黄色いゴムマットを敷いて、目の前の風景をノートに書いていくというもので、たいへん良い。5分くらい居るだけで、鳥や虫がこちらの存在に無頓着に行き交い始め、光と風が色や音や熱を鮮やかに変えていく。写生に取り組んだ画家たちの気分も味わえるというものだが、彼らがその一枚に描き込むことがどうしても難しかった感動──例えばもうそこにいないオナガの群れの尾羽の青さ──でさえ、文の中には難なく書き込める。一方で、例えばウリノキの葉の形や花の不思議さを再現することなど文には難しく、人間の営為ではすくいきれない自然の途方も無さに感動する。

「生き方の問題」がなんとか一つの作品の形を保っていられるのは、そういう感動がつなぎになってくれているからだと都合よく信じているが、それが読んでいる人に伝わるかどうかは別の問題だ。割り切って感動抜きの風景を物語に従わせる人もいるようだけれど、これはつまるところ「生き方の問題」ということになるのだろう。

僕としては、書き手の感動が伴わないものを風景描写とは呼べないとけっこう真面目に考えるようになっているし、それを読み手が実感するとはどういうことかについて思いが至ると、ほとんど心を痛めているといった具合である。

とはいえ、個人としては、誰にも見せない風景描写をあちこちで書いていれば感動の連続で、さしあたって幸福に生きていられる。でも、その感動を一大事だと受け入れてほしいただ一人の相手がいる時、こう言ってよければ恋をしている時、人はどのように文章を書けばいいんだろうか、書くしかないんだろうか。そんなことを、「生き方の問題」を書いている間は考え続けることができた。