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高度成長期に大ブーム…反戦平和教育と共存した「戦争漫画」の遺産

『紫電改のタカ』から『この世界の片隅に』
神立 尚紀 プロフィール

ほかにも、月刊漫画誌『ぼくら』(講談社)に昭和38(1963)年10月号から39(1964)年8月号にかけ連載された、現代の天才パイロットが、父の形見の「ゼロ戦二十一世紀」と名づけた零戦を駆ってライバルや悪の組織と戦う「大空三四郎」(原作・高森朝雄〈梶原一騎〉、漫画・吉田竜夫〈タツノコプロ創始者〉)、『少年サンデー』に昭和37(1962)年から38(1963)年まで連載された、少年航空兵が陸軍の一式戦闘機「隼」を駆って活躍する「大空のちかい」(九里一平〈タツノコプロ第3代社長〉)など、この時代には星の数ほども戦争漫画が生まれ、それぞれに人気を得た。

「大空三四郎」(原作・高森朝雄〈梶原一騎〉、漫画・吉田竜夫)と「大空のちかい」(九里一平)

だが、そんな戦争漫画の中から代表的な作品をひとつ挙げよ、といわれれば、筆者は躊躇なく「紫電改のタカ」(ちばてつや)を選ぶ。

異彩をはなっていた「紫電改のタカ」

「紫電改のタカ」は、『週刊少年マガジン』に、昭和38(1963)年7月から40(1965)年1月まで連載され、子供ばかりでなくその親の世代にも人気を博した、ちばてつや唯一の戦争漫画である。

 

零戦や隼が縦横無尽に活躍する漫画のなかにあって、「紫電改のタカ」は、明らかに異彩を放っていた。あくまでもバーチャルな世界、奇想天外なところがあるのは、同時代の他の漫画とさして変わらない。しかし、決定的に違う「何か」があったのだ。その差は、ひと言でいうと、人間性の描写にあったと思う。他の作家が、登場人物のキャラクターを「説明」してしまうところ、ちばてつやのそれは「描写」の域に達していた。つまり、余計な台詞や説明的なカットがなくとも、登場人物それぞれの個性が際立ち、素直に読者に伝わってきた。これは、当時20歳代半ばだった作者の天稟によるものだろう。

「紫電改のタカ」連載当時の『週刊少年マガジン』昭和38年9月22日号表紙。「海の王者大和」「空の王者ゼロ戦」の読み物記事も掲載されている

簡単にあらすじを紹介すると、主人公は滝城太郎一飛曹(のち飛行兵曹長)。四国松山出身、おはぎが大好物である。松山には母と、幼馴染で滝に思いを寄せる信子がいる。滝の属する七〇一飛行隊は多数の敵機との空戦で壊滅、滝を含む4名の生き残りは、松山の三四三空に配属され、度重なる戦果を挙げるが、最後は特攻隊員として出撃する。

――あらためて目を通しながら、「紫電改のタカ」のあれこれを考察してみる。といって、これは論文でも作品解説でもない。筆者の私的な感想文に近いものであるということを、あらかじめお断りしておく。

太平洋戦争末期の台湾・高雄基地。「そこには名機紫電で編成された七〇一飛行隊があった」というところから、物語は始まる。隊長が「白根少佐」であることからも、舞台設定が実在の戦闘第七〇一飛行隊であることは確かだろう。

実戦前の猛訓練に、不平たらたらで宿舎に帰った紺野一飛曹たち若い搭乗員が、隊長の悪口を言うのをたしなめる新入りの滝。生意気な登場の仕方である。

滝は、緊急指令で敵重爆撃機B-17を邀撃、編隊から単機離れて、急上昇、急降下の戦法でいきなり2機を撃墜、初戦果を挙げる。この戦法はのちに「逆タカ戦法」と名付けられた。だが七〇一飛行隊は、次の出撃で敵グラマン戦闘機の大編隊との空戦で壊滅、滝と紺野一飛曹、久保一飛曹、米田二飛曹の4人だけが島に不時着して生き残る。

そこで彼らは米軍に虜われるが、滝の機転で危地を脱し、浜辺に隠してあった紫電で脱出。そして味方占領下の島の上空で、またも敵の大編隊と遭遇、空戦に入る。滝はここで「黒いウォーホーク」(P-40。米陸軍戦闘機)を操る凄腕の少年パイロット、ジョージと対戦する。からくも勝利して万歳で地上部隊に迎えられた滝を待っていたのは、「マツヤマキチヘスグカエレ」との「カイグンシレイ ゲンダミノル」からの電報だった。

滝を呼び戻した「源田司令」はいわずもがな、実在の源田實大佐だが、「紫電改のタカ」連載開始の前年、1962年に源田元司令は参議院全国区に自民党から出馬、73万票を集めて当選している。源田氏がこの漫画を見た感想を聞きたかったものである。