「電力マネー」で創立された早稲田佐賀学園とプルサーマルとの関係
集めた金の9割は九電からの寄付

海老沢勝二元NHK会長の言葉に、いつものような"切れ"がなかった。
「確かに九電さんからの寄付でスタートした形となったが、それは(寄付金集めが)リーマン・ショックと重なったせいで、今後、他からも寄付をつのるし、(九電色は)薄まると思いますよ」
昨年4月、佐賀県唐津市に早稲田大学系属校の早稲田佐賀学園が開校した。早稲田大学ではなく、別法人の学校法人大隈記念早稲田佐賀学園が運営するので「付属」ではなく「系属」という位置づけで、50%までが早稲田大学に進学できる。
海老沢氏は、この学校法人を設立準備するための大隈記念教育財団(現在は学校法人に統合)の理事長だった。
設立の際の事業費は41億円を予定。海老沢氏や理事の奥島孝康元早稲田大学総長、立ち上げの中心となった石田光義元早稲田大学大学院教授などが、九州の経済界を中心に資金を集めたが、開校時までに22億円と予定の半分しか集まらなかった。
そのうちの9割以上、20億円の寄付を決めたのが九州電力である。
原発を抱える電力会社が、地元対策として気前よく資金を提供、インフラを整備、箱物を建て、住民の福利厚生に資するのは良く知られている。電源立地関連の交付金など制度的に認められてもいる。
だが、隣の玄海町には「玄海原発」があるが、唐津市にはない。しかも、早稲田大学は「私学」である。
電力マネーで創立された早稲田大学系属校---。
やはり奇異というしかなく、地元からは、開校準備が日本初のプルサーマル計画実施と重なっていることから、「九電から唐津市へのプルサーマル実施の地元対策」(地元政界関係者)という声が聞こえてくるのだった。
日本の原子力政策は、核燃料サイクルを基本としている。使用済み核燃料を再処理、再び燃料として利用するもので、再処理工場と高速増殖炉がセットとなっている。
だが、再処理工場は廃棄物のガラス固化技術、高速増殖炉の「もんじゅ」はエネルギー制御が難しく、いずれも実用化の道は遠い。そこで、"つなぎ"の策として、使用済み核燃料を再処理して製造したMOX(ウラン・プルトニウム混合酸化物)燃料で発電するプルサーマル計画がスタートした。
プルサーマルとは、プルトニウムを原発(サーマル・リアクター)で燃やすという和製英語。その取ってつけたようなネーミングが象徴するように、核燃料サイクルの継続に主眼が置かれ、プルサーマル自体にそれほどのメリットはないとされる。
ウラン資源は節約されるが、それは1~2割にとどまっており、むしろ原子炉を停止させる制御棒の動きを悪くし、事故の際の被害が大きくなるなど、デメリットの方が多いという。そのため反対する住民、自治体が少なくない。
電力業界の期待を担った九電のプルサーマル
九電のプルサーマル計画は、2004年5月、玄海町の玄海原発3号機に導入を計画、県と町に「事前了解願い」を提出したところから始まった。関西電力や東京電力に比べると、決して早くはない。
だが、02年から03年にかけて連続して発覚した関電や東電の事故隠し、データ改ざんなどにより、佐藤栄佐久前福島県知事のように態度を硬化させる首長が現れて、関電や東電のプルサーマル計画は行き詰まり、電力業界の期待を担ったのが九州電力だった。
九電の地元工作は順調に実を結び、06年3月、県は周辺市町村の意見も調整のうえ、プルサーマル計画を「了解」、MOX燃料が運ばれて、試験を重ねた末、日本初の営業運転を開始したのは09年12月2日だった。
確かに、早稲田佐賀学園の開校までの足取りは、プルサーマルに連同する。
「佐賀県に早稲田を」という声は、創立者の大隈重信が佐賀県出身だったこともあり、以前からあったのだという。
それを具体的に推進したのが石田元教授で、05年8月、佐賀市で「大隈地域創成講座」を開くなど動き始めた。
当初は、佐賀市と唐津市が拮抗していたが、唐津市が唐津城内の唐津東高校の移転地を用意、無償提供の上に、耐震化などを施せば、旧校舎を使用できるということで、06年末までには唐津市での開校が決まり、準備財団(正式認可は08年8月)を立ち上げた。
理事に、早稲田OBの政治家の森喜朗、保利耕輔など大物政治家が名を連ね、他に九電の松尾新吾会長、佐賀新聞の中尾清一郎社長を招くなど、準備に万全を期していた。
誤算は、正式認可がリーマン・ショックと重なって、海老沢理事長のいうように寄付が集まらなかったことだろう。