エッフェル塔も、メトロも。現在のパリを作った「万国博覧会」の歴史

「進歩」の19世紀から、戦争の世紀へ
高遠 弘美 プロフィール

1900年:動く歩道に観覧車、映画上映まで盛り沢山

この年のパリ万博は盛り沢山でした。グラン・パレとプチ・パレ、それに、ロシア皇帝ニコライ2世から贈られたアレクサンドル3世橋高さ100メートルの観覧車動く歩道エスカレーター、リュミエール兄弟による映画上映、サミュエル・ビングの「アール・ヌーヴォー」館川上音二郎と貞奴法隆寺金堂模型、「世界一周旅行」と名づけられたパビリオン内の五重塔などがありましたから。

 

サミュエル・ビングがこの万博で集めた工藝品のパビリオンの名称が「アール・ヌーヴォー」だったことで、エミール・ガレをはじめとする工藝家のスタイルじたいがその名で呼ばれるようになりました。パリのメトロの入り口の装飾を、1898年「カステル・ベランジェ」の建築で一躍有名になったアール・ヌーヴォーの建築家エクトル・ギマールが任されたのもこの年のことでした。

メトロ1号線(今では延伸されていますが、当初は万博と第2回オリンピック大会の見物客の移動を見越してポルト・ド・ヴァンセンヌとポルト・マイヨーの間を走りました)はこの年の7月の開通です。メトロ2号線もこの年の12月の開業ですが、今の全線になったのは1903年でした。

1925年:アール・デコ博覧会

この年の博覧会だけ名称が違います。「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」で、アール・デコ様式が強調されたため、「アール・デコ博覧会」と言われることもあります。左岸のアンヴァリッド前の広場からアレクサンドル3世橋を渡って右岸のグラン・パレとプチ・パレまで、たくさんのパビリオンが建てられました。

産業化と大量生産が進むなか、高級店やデパートもパビリオンを出し、富裕な客たちを集めました。創造から消費へと転換した時代を表した博覧会だったと言えるでしょうか。

異彩を放ったのはモダン建築を代表するル・コルビュジエの「エスプリ・ヌーヴォー(新精神)」館でした。直線的で幾何学的なアール・デコのなかにあって、それよりさらに機能美を追求したル・コルビュジエの面目躍如たるパビリオンでした。日本館もありました。

1937年:ピカソ「ゲルニカ」展示

ナチスが台頭しソビエト連邦が強大になる一方、スペイン内戦が続いていました。ピカソの「ゲルニカ」がスペイン館に展示されたのは戦争の悲惨さを訴えるためでした。ソビエト館とドイツ館とが向き合う形で配置されたのは象徴的です。フランス館は労働者のストライキがあり、万博開始までには間に合いませんでした。

ピカソ「ゲルニカ」(photo by iStock)

トロカデロ宮がシャイヨー宮に変わり、パレ・ド・トーキョーが建てられ、20世紀までのフランス美術を回顧する美術展が開催されました。その後、パレ・ド・トーキョーはパリ市立美術館と併設の美術関係の催事場として使用されています。

新技術としてはラジオが採り上げられ、会場では光と水と音楽が効果的に使われました。いまのフランスでは、各地でSon et Lumièreと呼ばれる光と音の祭典が開かれ、最近ではプロジェクションマッピングも多く用いられるようになりましたが、それはこの万博に端を発していると言えるかもしれません。