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あのニュートンですら「時の流れ」にふわっとした解釈をした理由

時間は宇宙全体で一様に流れ……ない!
「時の流れ」は物理現象なのか。この問いに対し、ニュートンですら『プリンシピア』で突っ込みどころ満載の記述しか残せなかった。なぜか──。

ベストセラー『時間は存在しない』の解説でも知られる吉田伸夫氏がその謎に正面から挑んだ最新刊『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』まえがきよりお届けします。

時の流れとは

「時間が経つ」あるいは「時が流れる」とは、どういうことだろうか?

目の前に置かれた時計を見つめている自分を想像していただきたい。時計の針が、3時ちょうどを指しているのを見たとしよう。

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そのままじっと時計を見つめていると、秒針がゆっくりと一周し、長針がわずかに進んで、3時1分を指すのが見える。さらに見つめ続けると、やがて針は3時2分を、続いて3時3分を指す。

時計を見ている人にとって、針がある時刻を指すのを目にする場合、その時刻だけがリアルな瞬間だと感じられる。針が3時2分を指しているならば、3時1分を指す光景は過去の記憶であり、3時3分を指すことは未来の予測である。どちらも、3時2分を示す時計を目の当たりにしている「いま」のようなリアリティは感じられない。

時計を見つめ続けると、時計の針は、しだいに、その後の時刻へと動いていく。この状況を素朴に解釈すると、眼前の時計が示す「いま」の時刻が、後へ後へと移動していくことを表すようにも思われる。

さて、ここで考えていただきたい。こうした「時の流れ」は、意識の外にある物理世界においても、客観的な出来事として起きているのだろうか?

言い換えれば、「時の流れ」は物理現象なのか──という問題である。

ニュートンの時間観

古典力学を大成したニュートンは、1687年に著した『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』の冒頭で、質量や運動量などの物理量が何を意味するか、明確に定義を述べた。

だが、時間については、空間や位置、運動などと同じく、誰もがよくわかっていることだとして、あえて物理学的な定義を与えていない。

他の定義を列挙した後の「注解」で、

「絶対的な、真の、数学的な時間は、それ自身で、そのものの本性から、外界のなにものとも関係なく、均一に流れ、別名を持続(ドウラチオ)ともいいます」
(『世界の名著 26 ニュートン』(責任編集・河辺六男、中央公論社、1971年)65頁)

と述べるにとどめた。

誰もがよくわかっていると言いながら、時間に関するニュートンの説明はひどく曖昧で、かえって混乱を助長するばかりである。

「そのものの本性」とは何か? 「均一に流れ(る)」と主張する根拠はあるのか?

一言ごとに突っ込みを入れたくなる。