ネットと整形外科医、どちらが信用できる?

「腰痛先生」に聞きました
谷川 浩隆 プロフィール

諦念は「あきらめ」ではない

これにははっきりいって、ある程度の諦念が必要なのです。諦念は決して敗北ではありません。「考え方の切り替え」であり、肩に入った力を抜いて目の前の問題を新たな視点から眺め、それを乗り越えていく方法なのです。

長年、自分の痛みを治してくれる「幻の名医」を探して、あちこちの医療機関を渡り歩き、治らないことに焦燥しながら十数年を過ごした患者さんがいます。一方で「あれもできない」という考え方から「これならできる」ということに目を向け、痛みに制限されながらも充実した人生を送った患者さんもいます。どうするかは最終的には自分が決めることです。


治らない自分や、自分を治せない医者に対して怒りを持つのもけっこうです。しかしそこからは何の解決も生まれません。怒りの感情は、すべてを洪水のように飲み込み、ぐるぐると頭の中でうずを巻き、さらに怒りにとらわれ増幅するという悪循環に陥ります。

まわりが変わるのではなく自分が変わること

そういう悪循環を食い止めるのには、なによりもまず自分が変わることです。きのうより少しよくなったこと、できるようになったことに目を向け、そのことに感謝してこころを平らかにしていくことです。


誰だっていつまでも腰痛や肩こりが続いていたら不機嫌になります。人にあたりたくもなります。その考え方をちょっとだけ変えてみて、ほんの少し怒りの感情から目をそらして、よい面を見つめることです。


「ネット時代」の医療は過剰な情報から、自分にとって必要な真実を選び出していくスキルを持つことが大切。情報の洪水に飲み込まれ、あせり、いらだち、不愉快になっているようでは、ネットは百害あって一利なしです。バーチャルではなくリアル。「自分のからだ」、「患者さんと医者」といったネットでは決して代わりになれないものがリアルです。


からだを動かす、歩く、こういった簡単ですが痛みを治すためのリアルな第一歩の行動を起こすことがとても重要です。