1月23日 世界初の女医が誕生(1849年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

この日、エリザベス・ブラックウェル(Elizabeth Blackwell、1821-1910)が米国ニューヨークにあるジェネヴァ医科大学から学位を授与され、女性として初めて医師の資格を取得しました。

【写真】エリザベス・ブラックウェル
  大学を卒業して医師となったころのエリザベス・ブラックウェル photo by gettyimages

幼少期と医師を志すまで

ブラックウェルは、イギリス南西部の港町ブリストルで1821年に砂糖製造業の家に生まれました。

1832年に砂糖工場が火災にあったため、家族で渡米することになり、オハイオ州シンシナティに新工場を設けました。ブラックウェル家はキリスト友会(クエーカー)教徒で、奴隷制に反対していたため、ビート栽培に奴隷を使わない同地に居を定めた、とされています。

彼女が医師を目指したのは、子宮がんで余命いくばくもない母の友人を見舞ったとき、その人が「女性の医師がいれば恥ずかしい思いをしなくてすんだのに......」と語ったことだったと言われています。

すでに父親を亡くしていた彼女は、教師をしながら資金を貯めつつ、下宿先の医師の家で医学書を読んで勉強し、医学校に入学許可を願い出ました。

 

女性には閉ざされていた門

どの学校からも許可を得られなかったブラックウェルですが、なんとかニューヨークのジニーヴァ医科大学(Geneva Medical College、現・シラキュース大学 Syracuse University)の入学許可が下りたことで、医師への道を踏み出すことができました。一説には、大学は彼女の入学許可願いから女性であることがわからなかった、とも言われています。

【写真】講義中に彼女の腕に男子学生がいたずら書きをしたメモを落とした
  授業中、彼女の腕に男子学生がいたずら書きをしたメモを落としていく、などということもあったという。彼女の回想をもとにした絵から photo by gettyimages

ブラックウェルは、勉学に励みながらも、女性解放運動や奴隷制反対運動などにも積極的に参加し、大学の夏季休暇中にはフィラデルフィアの慈善病院で、レジデント見習いとして働きました。発疹チフスの流行時には、多くの患者の治療を助けながら、自分が目にした患者の症例を克明に記録して、それを論文にまとめたところ、院内で高い評価を得ることになりました。

1849年に大学を首席で卒業、晴れて医師として公に認められることになりました。

卒業後も続いた苦難の道と出会い

アメリカの病院では採用を拒否されてしまったため、フランスに渡りパリの産科医院で助産師として実習に励みました。当初は外科を目指していましたが、不幸なことに、患者の子どもから受けた飛沫感染が原因と思われる感染症から、片目を失明してしまい、メスを持って細かく作業する外科医への道は断たれてしまいました。

しかし、ロンドンの王立聖バーソロミュー病院(The Royal Hospital of St Bartholomew)からインターンとして迎え入れられ、ここでクリミヤ戦争に従軍する前のF・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820-1910)と出会い、親交が育まれました。

【写真王立バーソロミュー病院】
  インターンとして勤務した王立バーソロミュー病院 photo by gettyimages

1857年に再びアメリカに渡ると、姉に続いて医師となった妹のエミリー(Emily Blackwell、1826–1910)と、エミリーの同窓生のポーランド人医師マリー・E・ザクシェフスカ(Marie Elizabeth Zakrzewska、1829-1902)とともに、女性職員だけで運営される、貧しい女性と子供のための病院をマンハッタンに設立しました。

【写真】妹のエミリー・ブラックウェル
  妹のエミリー・ブラックウェル。ウェスタン・リザーブ大学医学部を卒業し、姉のように欧州大陸各地で研鑽に励み、姉に1年先だって米国に戻っていた photo by  gettyimages

この病院は、患者が退院した後も医師が往診するというシステムをエリザベスが打ち出したこともあって大評判となったそうです。南北戦争が勃発すると、多くの北軍傷病兵を助ける看護婦を養成しましたが、現地では両軍の区別なく傷病兵を手当てしました。

後進の育成を目指す

再度イギリスに戻った彼女は、診療所を開く一方、後進のためにロンドン女子医学校(London School of Medicine for Women:LSMW)を1874年に開設しました。

開設にかかわったメンバーには、バーソロミュー病院でブラックウェルの講演を聞いて医師を目指した英国初の女性医師エリザベス・ギャレット=アンダーソン(Elizabeth Blackwell、1821-1910)や、エジンバラ・セブンとして有名なスコットランドの女性医師ソフィア・ジェクス=ブレーク(Sophia Louisa Jex-Blake、1840-1912)なども含まれていました。

1976年、英国の医療法が改正され、性別に関係なくすべての資格のある申請者にライセンスを与えることを許可されることになりました。

臨床研修に協力してくれる病院の確保など、女子医学校の運営は、ブラックウェルの人生と同様に決して平坦なものではありませんでしたが、それでも着実に発展を続けました。1890年には植民地インドからの女性留学生を受け入れ、20世紀初頭には学生数300名を擁する規模にまでなったのです。

【写真】
  女子医学校の卒業生の主要な研修先となったロンドン・ロイヤル・フリー・ホスピタル。後に、女子医科大学は同病院の教育部門の1つとなった photo by iStock

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