世界中が「他者との共存」を拒否し「離脱」を求め始めた現代について

1989年から世界はこんなに変わった
山崎 望 プロフィール

ここまで描いてきた状況は、人々が、脆弱性を補ってきた関係の網の目――それは時に国家という組織の形をとり、自由主義や民主主義という原理によって動く――から離脱しようとしている状況と言い換えられよう。

国境を越える組織や条約から離脱した国家。未曽有の力を持ち成長を続け、国家や民主主義から離脱を試みる超巨大企業。ポピュリスト政治家に権力を与え自由主義から離脱した民衆…。彼らは、確たる未来や力強さよりも、先行きの不透明感や傷つきやすさ(=脆弱性)に直面しているかに見える。離脱という力強い自己決定をしたにもかかわらず、である。

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人々が共存するゲームのルールから離脱することはできても、その先、新たに共存のためのゲームのルールを共有する人々に出会えるとは限らない。離脱したその後、それでも現実には消え去らない他者と、どのような関係を築くのか。離脱者たちは途方に暮れ、場当たり的な対応を繰り替えしているのではないだろうか。

 

「対話」は解決になるのか

こうした状況に対して、民主的で自由な対話を推奨する人々もいる。しかし対話を繰り返すことは、新たな合意を作るというよりも、むしろ、われわれを束ねている条件の自明性を失わせていくのではないだろうか。われわれを束ねているものが自明でないということに気づいた人々が、そこから離脱することは不思議ではない。

ここでは民主的で自由な対話の過剰さこそが、離脱への動機づけを生み出す。Twitterの世界と同様、「炎上」するよりも、ブロックをするなり、アカウントを消し「離脱」した方が賢明――そうした感覚が蔓延するかもしれない。

これに対して、民主的で自由な対話を減らして、伝統や文化を背景にした「以心伝心」を推奨する人々もいる。しかし問題は、すでに伝統や文化の基盤自体が融解しつつある現代において、「以心伝心」は難しい、という現実である。「あなたの常識は私の非常識」となるような現代世界で、内容を伴っていない「以心伝心」のようなものを押し付ける行為は、規範を共有しない人々を離脱させる衝動を高めることになるだろう。