世界中が「他者との共存」を拒否し「離脱」を求め始めた現代について

1989年から世界はこんなに変わった
山崎 望 プロフィール

主権国家の自律性の回復を訴える国家主義者や、「国民第一主義」を訴えるナショナリストは、グローバルガバナンスのための条約や枠組みからの離脱を主張する。権力を民衆に取り戻せ、と主張するポピュリストは、自由な世界市民に解消されない「われわれ」を構築し、自由主義からの離脱を訴える。自由を規制されない経済活動を目指す超国家企業は、民主主義からの離脱を模索する。

現代世界を変化させている様々なアクターは、「ポスト冷戦の世界」からの離脱を目指している、という点で共通している。現代世界は「離脱の時代」という観点から捉えることができるかもしれない。

「離脱」は、「声」とは異なる。「声」は同じ組織や国家の内部で、ゲームのルールを共有した上での、異議申し立てや対立である。これに対して「離脱」は国家や組織から出ていくことであり、ゲームからの退出でもある。

 

他者と共存したくない、という欲望

では、なぜ「離脱」が多発しているのだろうか。冷戦の終焉に象徴される様々な「壁」の解体は、われわれに東西が対立する冷戦構造下の「われわれ」からの離脱の機会をもたらした。しかし、人々はゲームのルールが共有されない中で、新たな「われわれ」を作ることの難しさに直面した

「開かれた、対立なき世界」で生きることに困難を覚え、あるいはそれに反発した人々は、再び壁を作り、「閉じられた、対立のある世界」で生きることを切望している。この壁を作り、「われわれだけの世界」を作ろうという欲望には、離脱の欲望が胎胚している。それは自分にとって、不快な、もしくは危険になるかもしれないような他者との関係から離れ、関係を断ちたい、という欲望である。換言すれば、それは他者と共存したくない、という欲望である。

個人レベルであれ、国家レベルであれ、こうした欲望を持つ離脱者たちは、自らの脆弱性を正面から認めることが難しい点においても共通している。国家や民主主義から離脱して、個人の能力でグローバルに広がった新自由主義の大海を泳ぐことを望む人々も、グローバルガバナンスや自由主義から離脱して、国家や民族という名の壁の内部で心地よい同胞と共に生きることを望む人々も、この意味では同じである。