1月22日 国産初の飛行船(1916年)

科学 今日はこんな日

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"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1916年(大正5年)のこの日、陸軍の飛行船「雄飛(ゆうひ)号」が、初めての実験飛行を成功させました。

益田少佐ほか2人を乗せた雄飛号は、所沢~豊橋(燃料補給)~大阪間を飛行しました。これを記念して、1月22日は「飛行船の日」とされています。

 

飛行の経緯

世界の航空軍事の進展に伴い、日本においても飛行船研究の必要性が認識され、陸軍、海軍が主導となって1909年(明治42年)に臨時軍用気球研究会が発足しました。委員には、東京帝大の物理学教授であった田中舘愛橘(たなかだて・あいきつ、1856-1952)などの学者も参加、日本ではじめてのグライダーを飛ばすなどの実績をあげました。

関連の日:12月 9日 日本初のグライダーが飛ぶ(1909年)

日露戦争の旅順攻略作戦で気球隊を運用して一定の成績を上げていた陸軍は研究に熱心で、雄飛号の航行も益田済(陸軍工兵少佐)、岩本周平(陸軍技師・気球隊付)が臨時軍用気球研究会委員として、雄飛号の組み立て、操船にあたりました。

飛行船の構造

全長85メートル、高さ22.5メートル、幅15.5メートルの巨体で、6~12名の乗員を乗せて、時速約60キロメートル程度での巡航が可能でした。竜骨のない軟式飛行船で、2個の空気袋を収めたガス嚢に、推進用の機関はマイバッハ製の水冷式直列6気筒エンジンを2台を搭載していました。実用上の上昇最高高度は2500メートルでした。

もともとドイツから輸入されたパルセバールPL13飛行船が不時着・大破してしまったものを改修・改造した船体で、所沢で組み立てられました。再設計された箇所も多いため、初の国産飛行船とされています。

【写真】パーセバル飛行船
  雄飛号と同時期のパーセバル飛行船(雄飛号に船体などを提供したPL13とは別船体のドイツ軍船)。パーセバルは設計した航空工学者のA・パーセバルに由来する photo by gettyimages

飛行船のガス嚢に充填する浮揚ガスには水素が使用されました。

ですが、1937年の「ヒンデンブルク号」爆発事故以降、不活性気体のヘリウムが使用されるようになります。ドイツは飛行船先進国でしたが、やがてアメリカのヘリウム供給停止のために、浮揚ガスの調達に苦労するようになります。

関連の日:5月 6日 ヒンデンブルク号爆発事故(1937年)

航行の様子と日本の航空運用のその後

所沢にある臨時軍用気球研究会の所沢試験所から大阪までの所要時間は、のべ11時間34分、平均巡航速度は時速40キロメートルでした。途中、豊橋練兵場で燃料補給などのために着地しています。

当初は往復の航行を目的としていましたが、機関不調で修理に時間をとられている間に暴風に見舞われたため、残念ながら復路は水素ガスを抜いて解体のうえ陸路を貨物列車で輸送されました。

雄飛号の航行にも携わった臨時軍用気球研究会でしたが、やがて海軍が独自の航空開発をするようになり、また科学研究目的としても文部省が独自に東京帝国大学・航空研究所(現・東京大学先端科学技術研究センター)を設けたこともあり、1920年に解散してしまいます。陸軍は航空本部を設置して飛行船の研究を続けますが、やがて航空の主役は飛行機へと集約されていきます。

【写真】三式8号飛行船
  海軍ではイギリスのSS飛行船、イタリアのN三式飛行船を購入、それらをもとに国内製造にも着手した。写真は、N三式を国産化した海軍三式8号飛行船 photo by Kodahsna Photo Archives

現在、雄飛号の離陸した飛行場は、所沢航空公園となっており、航空発祥の地として記念館も設置されています。また、所沢には、この雄飛号の航行を記念して、「雄飛焼」というお菓子もあるそうです。