故・日野原重明さんは、あの「地下鉄サリン事件」でどう行動したか

83歳で遭遇した極限状況
週刊現代 プロフィール

誰のために100年を生きるか

なぜ、そこまでして働き続けるのか。日野原さんは「召命」という言葉で表現していた。

「『この命は人のために生きるよう授かったものなのだ』ということでした。お父さんが牧師さんなので、キリスト教の考え方もあったと思いますが、いっぽうで、地下鉄サリン事件など医師として立ち会った極限の現場で見たことが、先生の人生観に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

本当に立派な方でしたが、チャーミングなところもたくさんありました。講演会でも『いくつですかと聞かれると、いつも65歳と答えちゃうんですよ』なんて冗談を飛ばして会場をドカンドカンと沸かせていた」(岡島氏)

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むろん、誰もが日野原さんのように、最晩年まで働き続けることができるわけではないし、無理をしてまで誰かに尽くそうとする必要もないだろう。

だが、「何歳からでも創めるのに遅くはない」と説き続けた日野原さんの生きざまは、我々に勇気を与えてくれる。

「今のように『人生100年時代』と言われるずっと前から、日野原先生は『人はいくつになっても変わることができるのだ』と信じ、自身も最期までそれを実践された方でした。

『より良く生きたいという思いを抱き続ける人にこそ、幸せは訪れる』。先生の言葉を、私は生涯忘れることはないと思います」(岡島氏)

105年という途方もない道のりを、鮮やかに駆け抜けた一生だった。

週刊現代2019年12月28日・2020年1月4日合併号より