故・日野原重明さんは、あの「地下鉄サリン事件」でどう行動したか

83歳で遭遇した極限状況
週刊現代 プロフィール

「責任は自分が取る」

一度腹をくくると、日野原さんの動きは年齢を感じさせないほど早かった。すぐさま緊急事態宣言を出し、その日の外来診療の受付を中止。すでに麻酔のかかっていた患者を除くすべての手術を延期してオペ室を空けた。

短時間の間に約100人の医師と、300人の看護師や助手、そして聖路加看護学校の学生も含め、病院の総力をあげて緊急態勢を整えた。

 

ちなみに当時、建て替えられたばかりだった病棟は、大災害の発生を見据えた日野原さんの要望により、壁面に酸素の配管が2000本近く張り巡らされ、収容所として使えるように広いロビーや礼拝堂施設まで設けられていた。こうした環境が、応急処置場として活用されることになる。

「日野原先生は、あれだけの人なのに権威主義的なところがまるでなくて、院内で『ひのじぃ』とあだ名される存在でしたが、あのとき見せたリーダーシップは素晴らしかった。

『来た患者さんは責任を持って聖路加で診る。断るな』と基本方針を決め、『最終的な責任は俺が取るからあとは自由にやってくれ』と。現場を信頼し、すべてを任せてくれた。おかげで、みんなが持てる力を尽くして処置にあたることができました」(前出・奥村氏)

日野原さんはまず、外科系の副院長に「トリアージ」を実施させた。これは、患者の症状を見極めて、重症、中症、軽症にわけ治療の優先順位をつけていくというもの。

患者の生死を左右するため、一瞬の判断力が要求される。平時の医療現場では行われることはないが、サリン事件のように症状の程度が違う患者が次々と搬送される状況には不可欠の処置だった。

Photo by GettyImages

そして内科系の副院長には原因の究明を指示。看護部長を兼務した副院長には、退院できる患者を退院させて治療のスペースを確保させた。