Photo by iStock

故・日野原重明さんは、あの「地下鉄サリン事件」でどう行動したか

83歳で遭遇した極限状況

「とにかく助ける」

誰の人生にも、大きな決断を求められる瞬間というのはやってくる。そういうときにこそ、人間の度量が試されるものだが、元聖路加国際病院院長の日野原重明さん('17年に105歳没)にとって、それは'95年に83歳で遭遇した「地下鉄サリン事件」だった。

 

内科医として、聖路加看護大学の学長や、国際内科学会会長などの要職を歴任してきた日野原さんは、80歳にして院長への就任を請われ、無給で職務にあたっていた。

3月20日の午前8時30分、日野原さんはいつもどおり朝の6時40分に自宅を出て病院に出勤し、7時半から幹部を集めた定例の会議を開催していた。そこに、事件の一報が届く。

「地下鉄で、大きな爆発事故が起きたようだ」

8時40分には、病院内に緊急の呼び出しがかかり、医師たちが救急センターに集まってくると、救急車がけたたましいサイレンを鳴らしながら、次々と患者を運んできた。

Photo by GettyImages

「目が痛い」と泣き叫ぶ人がいれば、すでに心肺停止の人もいる。

「いったい、何が起こっているのか」

目を覆いたくなるような光景に、日野原さんは絶句した。当時、聖路加病院の救急部の医員として現場に立っていた奥村徹氏が回想する。

「火事か爆発かという話だったのに、実際に患者が来てみると、誰も煙を見ていないし、爆発音も聞いていない。みんなが『なにか、おかしいな』と考えている間にも、重症や重体の人々が次々と運ばれてくる。

普通、心肺停止の人は瞳孔が広がるものですが、それがあのときの患者は全員が『縮瞳』といって、小さくなっていた。『これは異常だ』と現場も動揺していました」

今でこそ、そうした健康被害がサリン散布の影響によるものだったことは広く知られているが、事件直後にその状況は明らかになっていない。

何もわからぬまま、集まってくる患者の数は刻一刻と増えていく。パニックになってもおかしくはない状況のなか、日野原さんはベテラン医師らしい冷静さで状況を見極めていた。

「何が起きているかはわからないが、いまはとにかくこの患者さんたちを助けるしかない」