丹波哲郎さんはなぜ、75歳で「大霊界」への没頭をやめたのか

死を人一倍考え、恐れていた
週刊現代 プロフィール

遺骨は大好きな場所に

犯罪捜査や大義のため、非情な決断も冷徹に下す。そんな銀幕やブラウン管の中でのイメージとは裏腹に、貞子さんの前での丹波さんは、愚直で献身的な一人の夫だった。

「うちの親父が街中で母の車椅子を押そうとする。でも、母は嫌がった。『丹波哲郎』というのは商品だから、商品を傷つけてはいけないって。そして一人で車椅子に乗る母を見て、親父は申し訳なさそうにしていました。

俳優・丹波哲郎は、親父だけのものじゃないんです。ボス的な素養もあった母と、繊細な一面のあった親父との二人の協力があってこそ、皆さんがイメージする『丹波哲郎』ができあがっていたんです」(前出・義隆氏)

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戦争の経験と、病弱な愛妻を慈しんで生きた丹波さんは、自分にとって大切なものが何か、そしてそれを失う恐怖と辛さを誰よりも知っていた。だからこそ、丹波さんはことさらに、死後や霊界の研究へと傾倒していったのかもしれない。

'97年、丹波さんが75歳の時、それまで約50年連れ添った貞子さんが亡くなる。義隆氏によれば、「親父は祖母が死んだとき以上に、人目もはばからず、わんわんと声を上げて泣いた」といい、そしてそれ以降、霊界への言及はぴたりと止まった。

 

「生前の母はハワイが好きだったので、遺骨の一部はハワイで許可を得て散骨しました。親父は『骨って浮くのかと思ったら浮かないんだな。スーッと沈んでいったよ』と呟いていましたね。何か、吹っ切れたようでもありました。

親父はその後、'06年に亡くなりましたが、二人は幸せだったと思います。親父が寂しくならないよう、お墓の中には、結婚前に二人が付き合っていた頃の、顔を寄せ合っている白黒の写真を入れてあります」(義隆氏)

丹波さんは、真理を模索し続けた彼方の世界で、貞子さんとまた会うことができただろうか。

週刊現代2019年12月28日・2020年1月4日合併号より