丹波哲郎さんはなぜ、75歳で「大霊界」への没頭をやめたのか

死を人一倍考え、恐れていた
週刊現代 プロフィール

最愛の妻の「難病」に直面して

もう一つ、丹波さんの死生観や人間観に決定的な影響を与えたのは、最愛の妻・貞子さんだった。

貞子さんと結婚したのは、戦後間もない'49年。丹波さんはまだ27歳で俳優として売れる前のことだった。

丹波家は名家で、丹波さんの祖父、父、そして2人の兄までが東大出身。俳優を志した丹波さんは「一家の落ちこぼれ」扱いを受け、実家の援助もなく肩身の狭い思いをしていた。

 

そんな丹波さんを認め、救ったのが貞子さんだった。仕立て屋の娘だった彼女は、夫が使う衣装をすべて作った。すぐにエンストする中古のルノーを買ったときは、そのたび貞子さんが車を降りて下駄を脱ぎ、後ろから押してエンジンをかけ、撮影所に通った。貞子さんは、丹波さんのたった一人の味方だった。

しかし'58年、貞子さんは急性灰白髄炎(ポリオ)を発症し、33歳の若さで車椅子の生活となってしまう。スターへの道を上り始めていた丹波さんは、妻の介護の苦労を表には出さなかった。

「ロシアに特効薬があると聞くと、親父はすぐに買いに行きました。普通は少量しか手に入らないんだけど、そのときばかりは親族の力を借りて、大量に入手したって言っていました。親父はとにかく、必死で母を治そうとしていたんです」(前出・義隆氏)

丹波家の救いは、貞子さんの性格だった。難病を抱えても貞子さんは、「仕方ない」と割り切り、前向きに生きる、そんな女性だったという。

「半身不随の貞子さんを丹波さんは本当に大切にしていました。地方ロケがないときは家にいることが多かった。

それで、よく映画監督の深作欣二さんも一緒に、丹波さんの家で映画を観ました。陽気な丹波さんに寂しい思いをさせないようにと、夜になると貞子さんが麻雀のメンバーを揃えたりしてね」(前出・千葉氏)