フリー編集者の上松容子さんは、両親が30代のときに生まれたひとりっ子。東京で生まれ育ったが、両親は仲良く元気で、両親の兄妹も都内にいた。しかし父ががんで急逝すると、「ていねいな暮らし」をしてきた母・登志子が一気に認知症を発症したのだ。その後、認知症や介護、さらに「ゴミ屋敷問題」にも直面することとなる。

上松さんには、実母と一緒に暮らせない事情も抱えていた。そこで相談したのが、しっかり者として町内でも有名な、母の実家に暮らす母の実姉・恵子だった。母と暮らすことを喜んで引き受けてくれ、ほっとしたのも束の間、実はその実姉の家はすでにゴミ屋敷となっており、二人の暮らしが衛生上多くの問題を含んでいる現状を知る。

これは、名前のみを変更したドキュメントである。今回は、ゴミ屋敷に暮らす母と伯母との「生活費」について、さらに驚きの事実を知った時の話をお伝えする。

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伯母・恵子は働いたことがない

伯母の恵子はたいへん貧乏である。それを知ったのは、今回母を頼んでからのことだった。
彼女は没落した呉服屋の長女で、結婚はせず、就職したこともない。戦前の海軍でほんの少し事務の仕事はしたようだが、ほぼ完全なる「趣味人」だった。

病弱で、特に心臓が弱かったため「30まで生きられないだろう」と医者から宣告された。そのため、お前は何もせず好きなことだけしていればよい、と親が過保護に育てたのである。しかも、何かにつけ「長女だから」ときょうだいより彼女を尊重した。

若い頃、どうやらお見合いだけはしたらしい。海軍のエリートだったと聞いている。ところが彼は、かの戦争で戦死してしまった。伯母は、生涯独身を貫いた。当時は日本中で同様のことが起きていたであろう。

伯母はその後も、働きに出ることはなかった。長兄が経理の仕事で主たる収入源を確保し、次女である私の母が編集の仕事に就き、その妹が精密機械の会社に就職し、弟がグラフィックデザインの仕事をして家計を支えても、恵子だけは趣味人であり続けた。

茶道、華道、各種手芸、料理、謡曲、俳句、バードウォッチング、テレビショッピング、町内会の旅行会。楽しそうなことなら何にでも関わった。

年を重ねても地域の友人たちと生活を楽しむ。それはもちろん素敵なことだけれど、お金がかかる楽しみを手元のお金を水に求めてしまうと… Photo by iStock

買い物をするにも、主婦とはまったく違うスタイルだった。呉服屋時代、使用人たちに食事を作っていた頃と変わりなく、良いものが安いとなればまとめ買いしてしまうのだ。そのほうお得でしょう、と言って。お得どころか無駄になることのほうが多かったが、伯母に説教をする家族はいなかった