食事は「家族の空気」

「絶対、見て。わかることがあるから」と言われ、レンタルDVDを観た。

親が始めた金物屋を引き継いだ葛城清は、美しい妻・伸子との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた。思い描いた理想の家庭を作れたはずだった。 しかし、清の思いの強さは、気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる。いくつかの無差別殺人事件をもとに生み出された物語で、三浦友和が恐ろしいほどに強権をふるい家庭を崩壊させるモラハラ夫、清を怪演。清に抵抗できず日に日に無気力になっていく妻・伸子を、南果歩がリアルに演じている。「観終わると、後味の悪い映画」として有名だそうだ。

この映画、家族が食卓を囲むシーンが度々登場するが、まともな食事が出てこない。朝ごはんが宅配ピザやコーラ。それ以外もすべてコンビニの弁当やパン。夫婦は食事に関して恐ろしいほどに無頓着だ。
最終的に優秀であれと父親から期待され追い込まれた長男は、会社での苦悩から自殺。次男は殺傷事件を起こすが、終盤に差し掛かる前に母親が息子たちと話すシーンがある。

「ねえねえ、あなたたちは、死ぬ前の最後の晩餐は何がいい?」
母親は「私は、小さいときにおばあちゃんが作ってくれたちらし寿司なんだ」とうれしそうに伝える。
長男は「うな重で」と言い、次男は「コーラ」と答える。

観終わって、痛感した。

食事は家族の空気なのだ、と。コンビニからもってきた空気だけを吸わせるのではなく、家族のつくった空気を入れないと大人も子どもも苦しくなるのかもしれない。
だからといって、その日その日を必死に生きている人に手作り信仰を押し付ける気は毛頭ない。私自身、できあいの総菜や外食に子育てを頼ってきた日もあった。

親不在の時は、なるべく手作りにしてそこに親の存在を残した。逆にいるときは「今日、牛丼買ってきちゃおう」にする。どちらもできないときは、友人宅に預けた。「〇〇ちゃんちの唐揚げ、おいしかった」とうれしそうだった。

その食事に愛があるのか。ないのか。「ごめんよ~。今度は作るね」は愛だろう。ただ、愛は、母と父はもちろん、時に社会が担うことを目指したい。
子どもたちに最後の晩餐を聞いてみようか。勇気はいるけれど。

「手作りご飯」とは必ずしも豪華な食事のことではない。もちろんトータルでみての栄養も大切なことだけれど、なにより「一緒に食べる」「一緒じゃなくても愛がある」そういうことが大切なのではないだろうか Photo by iStock