Photo by gettyimages

角栄に引導を渡した男「梶山静六」──心やさしき武闘派の素顔

小此木八郎×田崎史郎×山口栄一

田中角栄に引導を渡し、政権奪回のために自社さ政権を誕生させる。まさに「自民党の軍師」だった。その背骨には、一度は死を覚悟した戦争体験があった。

「負け戦はするな」

山口 梶山静六先生は名前にちなみ「六」という数字が好きでした。酒を飲む時も、ビール瓶を6本ずつ注文していましたね。そして、亡くなった日も平成12年の6月6日。そこでも「六」か、と思ったものです。

田崎 梶山さんは陸軍航空士官学校の出身です。終戦時は19歳でしたが、まさに「戦争を知る政治家」でした。

Photo by gettyimages

小此木 敗戦という大きな体験をされているため、「戦いというのは負けてはいけない。負け戦はしてはいけない」と、何かにつけておっしゃっていたのを覚えています。

山口 陸軍士官学校といえば当時のエリートです。だからこそ敗戦の衝撃や自責の念は強かったんでしょうね。戦争が終わって、故郷の茨城に帰ってきても、1ヵ月ぐらいは自室から出てこられなかったと聞きました。

 

田崎 梶山さんは10人兄姉の末っ子で、お兄さんが満州で戦死されています。お母さんから「どうしても一人戦死しなくてはならないなら、お前が戦死してくれたほうがよかった」と言われたそうです。

もちろん梶山さんの戦死を望んだわけではなく、妻と幼い子どもを残して亡くなったお兄さんの死をそれだけ悲しんだということですが、こうした戦争体験が梶山さんの背骨になっているんだと思います。