天才・松本人志の「限界と今後」日本人の笑いにもたらした功罪

彼が日本の「笑いのお手本」となった理由
瀬沼 文彰 プロフィール

「アンチ松本」が増えている理由

こうした風潮に背を向ける人々も近年増えている。いわゆる「アンチ松本」だ。

アンチ松本が増え始めた理由は、「松本の芸の劣化」「テレビが自主規制とコンプライアンスで自由な表現ができなくなった」「頻繁な露出に飽きた」「松本の発言は論理性に欠けることも多く、ネットで叩かれやすい」など多岐にわたるであろう。だが、ここでもやはり、松本の能力ではなくお笑いと社会の関係から、3つの指摘をしてみたい。

まず1つ目は、現在の視聴者たちは、すでにヒエラルキーのなかでお笑いをとらえていないという点である。

 

いまエンターテインメントの世界は、フラットな「推しメン」の時代に突入している。音楽でもそうだが、1人のアーティストに大多数の国民が熱中したかつてと異なり、いまは自分の好みに合わせて推しメンを見つけるのが主流になった。こうした現象は、音楽の領域では1980年代から早くも始まっていたが、お笑いはかなり遅れて2000年代、いわゆる「キャラ芸人」が溢れ始めてから、好みが細分化した。

このような時代には、全国民にとってのカリスマは不要だ。90年代に築き上げた松本のお笑い界のヒエラルキー構造は、2000年代に入って崩れ始め、視聴者もそれほど需要しなくなり、「楽しく笑えれば何でもいい」時代になった。

松本もまた、フラットな世界のひとりのプレイヤーと化したのだ。

2つ目は、松本特有の「毒」への批判から生まれるアンチである。

松本の笑いの面白さの1つが、この毒であった。そもそも面白さの本質には、どこか差別的な要素や毒が普遍的に含まれているというのは、笑いの研究ではしばしば指摘されてきたことだ。

関連記事

おすすめの記事