42歳の誕生日のときの詳細な「報告書」

2005年10月、雅子さまと愛子さまとでお芋掘り。このようなことが心を癒し、健康を取り戻すためにも大切なのだ 写真提供/宮内庁

2005年12月9日、雅子さま42歳の誕生日には、ご病気に関しての「東宮職医師団見解」がまとまった文書として発表された。
「病名と治療方針」「現在のご病状」「環境面のストレス」というみっつに分け、病状や治療の経過を詳しく記したこの報告書は、雅子さまの病気への理解を深めるためのものだった。

しかし、この中で、「流産に続く妊娠・出産の疲れが残っている出産後まもなくから公務が始まったことが病気の引き金」「心理的に強い閉塞感」「立場上自由な外出が叶わないため、情報遮断や感覚遮断の状態になって、それ自体がストレスなるだけではなく、ストレスに対する抵抗力が弱まる」などと書かれていたことに、宮内庁幹部は苛立った。

医師たちが、雅子さまの病気の原因は「環境面のストレス」と判断したことによって、皇室のありかた自体を批判されたものととらえたからだ。

今後の公務に関しても「育児や家庭生活、ライフワークになるような活動や研究とバランスを取りながら選んでいただけるよう検討していただきたい」という提言に対し、宮内庁からも、マスコミや世間一般からも、「公務を選ぶのか!?」と反発の声があがった。

結果的に、病気への理解を深めるための方策は逆効果で、雅子さまへの批判はさらに高まることになって行ったという……。

なにをしても批判される

何もかもが裏目に出て、八方ふさがりの状態だった。

病気の症状のために、公務はできるものとできないものを選ばざるを得ないのだが、「公務を選ぶとは何事か」と批判される。
治療の一環としてスポーツや私的外出をすると、「遊んでばかりいる」と批判される。
体調に波があるために予定をキャンセルすると、「ドタキャン」「ワガママ」「気まぐれ」と批判される。

内からも外からも、批判、批判のオンパレードだ。
しかも、すっかり皇太子夫妻と断絶してしまった東宮職は、適切な説明をしてお二人をかばうことができなかった。

その頃の陛下と雅子さまは、暗い嵐の海で、波もまれる難破船のようなものだったのではないだろうか。
お二人は、ひたすらお互いの手を握りしめて、激しい嵐に耐えていた。