1月 9日 新国技館の落成式が行われる(1985年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1985年のこの日、東京都墨田区横網に完成した新しい国技館の落成式が行われました。

 

初代国技館は、1909年に両国の回向院境内、本堂の向かいに、常設興行場として初めて建てられました。それまでは境内で相撲が興行されるたびに小屋掛けされており、明治の中頃から常設館を求める声が大きくなったことを受けて建設されたのです。

設計は、東京駅丸の内本屋(駅舎)などで有名な辰野金吾(たつの・きんご、1854-1919)とその門下生である葛西萬司(かさい・まんじ、 1863-1942)で、そのデザインから「大鉄傘」と呼ばれました。

【写真】旧両国国技館
  「大鉄傘」と呼ばれた旧両国国技館。現在は両国シティコアビルが建ち、中庭に旧国技館の土俵の位置を示す円が描かれている photo by Kodansha Photo Archives

関連の日:12月18日 東京駅の開業記念式典が開催される(1914年)

旧両国国技館は、関東大震災や東京大空襲などによる焼失と再建を繰り返しながら、好角家に長く愛されました。ですが戦後にGHQの接収を受けたため、野外や仮設施設での興行を経て、2代目の国技館(東京都台東区蔵前)に移ります(建物は日本大学の講堂として使用された後、1982年に解体)。

蔵前国技館と呼ばれた2代目国技館は1954年に竣工しました。テレビ放送の開始や、天覧相撲のはじまり、柏戸と大鵬の取り組みなど、戦後昭和の相撲最盛期の舞台となりました。

【写真】蔵前国技館
  旧蔵前国技館。現在、周辺は蔵前公園となっており、園内にある水道見学施設「蔵前水の館」には蔵前国技館の資料も展示されている Photo by Kodansha Photo Archives

しかし、戦後の資材難で旧軍放出材などを使っていた蔵前国技館は、傷みが早かったため、新国技館の建設が検討されました。そこで、相撲協会など関係者は、古くより相撲と縁の深い回向院のある両国界隈に建設地を求め、旧国鉄の敷地だった現在の場所に建設が決まりました。

こうして、約3年の工期、総工費約150億円をかけて、地上2階・地下1階の新国技館として3代目の新両国国技館が落成したのです。1984年の9月場所千秋楽をもって蔵前国技館が閉館、1985年の1月場所より新両国国技館で開催となりました。

【写真】新両国国技館
  新両国国技館 photo by gettyimages

落成式では、当時の東西両横綱、千代の富士と北の湖による三段構えが披露されました。新国技館での初場所で、千代の富士は「全勝優勝」、怪我を押して強行出場した北の湖は1勝もすることなく途中棄権のまま「引退」と明暗分かれ、奇しくも力士の世代交代のタイミングと重なることにもなったのです。

【図】新旧国技館の位置関係
  蔵前、両国周辺の新旧国技館の位置関係を示した概略図 map by Bluebacks