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善し悪しを断定する前に、自殺について考えるべきこと 

自殺には「他殺」という側面もある
現在の私が自殺してしまう――そこには「未来の私」を殺害するという意味での他殺性がある。ただし、それだけで自殺を悪であると判断することはできない。自殺をめぐる「時間性」「他者性」「パターナリズム」について、『心にとって時間とは何か』を著した京都大学准教授の青山拓央氏が考察する。

自殺に失敗したあの日

自殺を試みたが失敗し、数年後、紆余曲折を経て、もう死ぬ気を失った人物。そうした人物は珍しくなく、読者の周りにもきっと居るだろう。では、次のような架空の人物Xについて考えてみよう。

 

Xは20歳のとき、熟慮のうえで自殺を試みるが、奇跡的に生き延びる。その後、歳を重ねるにつれて自殺の欲求は薄れ、40歳となった現在、死にたい気持ちはまったくない。よき伴侶や仕事に出会い、幸福と呼んで差し支えない生活をいまは送っている。

ところが、そのXの前に突然、20歳のときのXが現れる。自殺に失敗したあの日、Xには数時間の記憶の空白期間があったが、じつはその期間、Xは世界から消えており、20年後の未来に来ていた。原理はまったく不明だが、短時間だけ未来に行き、また戻ってくるような、タイムトラベルをしていたわけだ。

20歳のXは40歳の自分に会い、「おめおめと生きている」と感じて激高する。そして、「あなたは以前、はっきりと、未来の自分を殺す決意をした」のだから、いま自分に殺されても文句はないだろうと述べて、襲いかかる。

若い自分に殺されそうになって、40歳のXは記憶を取り戻す。たしかにあの日、自分は未来にやって来て中年となった自分を殺そうとした。そうして、相手ともみ合ううちに強烈な目眩に襲われ、気がつけば、自殺未遂の状態で病院の治療室に居た。夢だと思って忘却していたが、あれは現実の出来事であり、あの日とは今日であったのだ──。

自殺を「他殺」にしないための条件

20歳のときの自殺が成功していたら、40歳のXは存在しなかった。これは確実なことである。自殺は、現在だけでなく未来の人生も消してしまう。だが、実際の自殺では、いま見たSF的な想定と異なり、未来の人生を消すことを未来の自分に邪魔されたりはしない。

自殺をめぐる問題の1つは、それが、かなり特殊な意味での「他殺」とも見なせる点にある。20年後、40年後、あるいは60年後の自分は、その心境や生活状況に関して、いまとは別人と言ってよいほど変化している可能性があり、それゆえ、向こうから見れば、若い自分もまた別人である。その別人に自殺されることでいまの自分が消えてしまうなら、それは一種の「他殺」ではないか。

どのような場合に安楽死を認めるべきか、という議論では、現在苦しんでいるだけでなく、その苦しみが将来も続く可能性が高いことが、条件としてしばしば求められる。たとえば、激しい身体的苦痛を伴う致死性の病気にかかっており、有効な治療法がない、といった。

安楽死を他殺にしないための条件は?(photo by iStock)

これはいわば、自殺を一種の「他殺」にしないための条件と言ってよい。現在における「死にたい気持ち」が未来にもずっと持続・増大し、それゆえ、未来の側からも自殺への同意が得られるに違いないと考えられることが、そこでは求められている。

橋田壽賀子さんの考え

とはいえ、それが一種の「他殺」であるという側面を、自殺から完全に消すことは難しい。現時点での「死にたい」という気持ちがこの先絶対に変わらないという保証はないし(たとえば画期的な治療法が発明されるかもしれない)、より悩ましい問題として、「自分が自分でなくなっていく」場合をどう考えるべきかという問題がある。