2019.12.31

なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?

オランダ商館長日記と日本らしさ
フレデリック・クレインス プロフィール

地震に対する日本人の無関心

4月18日の朝6時半ごろにファン・アウトホールンは非常に強い地震を感じた。この時の日本人の無関心ぶりにファン・アウトホールンは大いに驚いた。「日本人はそのような地震にあまりにも慣れ切っているので、まったく気にしていない」と彼は記録している。江戸ではそのような地震が度々起こっているので、日本人はそれに無関心になってしまったのだろうと彼は推察している。

 

その後の江戸滞在中も、ファン・アウトホールンの日記には、毎日のように火事や地震の記述がみられる。災害に恐怖を覚えながらも、将軍謁見を無事に済ませたファン・アウトホールンは4月27日に江戸から出発した。

彼は江戸で災害に遭わなかったことについて神に感謝をした。その日、川崎で昼食を取っている時にファン・アウトホールンは後を追ってきた役人の1人から恐ろしいニュースを聞いた。彼らが江戸から出た途端、大きな火事が発生し、オランダ人の宿も非常に危険な状況だという。ファン・アウトホールンは幸運に感謝した。

江戸で絶えず起こる火事や地震は非常に印象的だったようである。ファン・アウトホールンが1692年10月28日に、当時東インド会社の総督に就任していた兄のウィレムに宛てた手紙で、江戸の滞在中に「複数の地震と火災を経験した」と綴っているくらいだ。

消火ポンプが売れなかった「日本的な」理由

常に火事の危険にさらされている江戸において、消火ポンプは、消防活動の効率を劇的に向上できるはずだ。そのようにファン・アウトホールンは考えていた。しかし、幕府による導入は実現されなかった。消火ポンプはその後もしばらく出島商館にそのまま置かれていたが、送付指示が江戸から来なかったので、バタフィアに送り返された。

消火ポンプはなぜ、日本で需要がなく、バタフィアに送り返されたのか。私は気になったので、ファン・アウトホールンの日記や手紙で答えを探した。

その結果、先に引用した兄ウィレムへの手紙で答えを見つけた。兄への手紙の中でファン・アウトホールンは、売却することは得策ではないので、消火ポンプを送り返したと伝えている。また、その理由についても記している。

その理由とは、通詞たちが売却しないように忠告したからだという。通詞たちの言い分では、その消火ポンプが「献上品として送られたと商人たちが分かれば、買おうとしないだろう」とのことであった。

つまり、消火ポンプが元々将軍に献上するための贈物だったと分かれば、商人たちは畏れ多くてそれを買わないと通詞たちは考えたようである。そういうことであれば、致し方がないので、バタフィアに送り返すしかなかった。

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