なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?

オランダ商館長日記と日本らしさ
フレデリック・クレインス プロフィール

ファン・アウトホールンとは何者か

コルネーリス・ファン・アウトホールンはなかなか面白い経歴の持ち主である。彼は東インド会社職員の息子としてインドネシアのアンボンで生まれている。幼少時代にオランダにわたり、そこで教育を受けたとされている。

その後、再びアジアに赴き、バタフィア本部の出納係など東インド会社でつぎつぎと重要な役職が任された。彼にはウィレム・ファン・アウトホールンという兄がいた。コルネーリスが日本商館長を勤めている間に、ウィレムは東インド会社総督のポストに就いた。

 

外科医で知識人のケンペルが江戸参府して、綱吉に謁見したことは有名な話である。この時、ケンペルが同行した商館長はこのファン・アウトホールンである。ケンペルはファン・アウトホールンを高く評価していた。

ケンペルの遺稿には、ファン・アウトホールンについて次のように書かれている。

「博学多識かつ経験豊富であり、生まれつきの愛想の良さで、この国〔日本〕の気むずかしい人々の好意を引き出すことができた人であった。それによって、〔東インド会社の〕重役たちの事業に大変役立つ人材だった」(大英図書館所蔵ケンペル遺稿)

また、ファン・アウトホールンは日本の事物の収集に励んでいた親日家としても知られていた。

江戸の町火消しの予知能力

40日間の旅の末、ファン・アウトホールンが江戸に到着したのは、1692年3月31日である。江戸でのファン・アウトホールンの気掛かりは、ほぼ毎晩のように起こる火事だった。4月4日の夜にオランダ人の宿のすぐ近くで火事が起こった。

「そのために、〔長崎奉行所の〕役人たちや我々の〔日本人の〕助手たちは毎晩交代で見張りをしている。彼らにとっては、大変苦労がかかっているはずである。そして、我々は絶えず不安を抱えることになっている」とファン・アウトホールンは綴っている。

7日の夜も江戸中が大騒ぎとなった。大勢の日本人が火事装束をまとって駆けつけてきた。ファン・アウトホールンは、大きな火事が発生したのだと不安になった。彼はそれについて役人に尋ねてみた。

しかし、役人は、火事はまだないと答え、次のように付け加えた。「強い南西風が吹いているので、この場合、火事がよく起こる。それゆえに、準備する必要がある」。その夜、役人の予言通りに火事が起こった。しかし、火は町火消したちによってすぐに消し止められた。

火事場に向かう火消しの隊(国際日本文化研究センター所蔵)

このように、火事は江戸では非常に身近なものだった。江戸の人々は常に火事を意識して、火事が起きた場合に備えていた。そのような態度を彼らは自然と身に付けていた。オランダ人は日本人の火事慣れした様子にとても驚いていた。

続く8日と9日そして12日も、つぎつぎと新たな火事が発生し、宿の周りは大騒ぎとなったが、大きな被害は免れた。とはいえ、それらの火事はファン・アウトホールンの不安を煽るのに十分だった。

それに対して、オランダ人に同行していた日本人は非常に冷静に振る舞っていた。16日の夜中には大きな火事が発生し、「五つの大きな通りが全焼した」ことをファン・アウトホールンは役人から聞き知った。これにより、ファン・アウトホールンの不安は頂点に達した。「〔滞在中に〕絶えず火事に対する不安の念に駆られる」と彼は日記に綴り、嘆いている。けれども、これは序の口に過ぎなかった。

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