なぜ江戸幕府はオランダの高性能な消火ポンプを導入しなかったのか?

オランダ商館長日記と日本らしさ
フレデリック・クレインス プロフィール

貿易業務が終わった後、オランダ船は再びバタフィアに戻る。出島に残るのは十数人の商館員。そのうち、商館長と数人の商館員が、年明けに江戸参府し、将軍に謁見する。江戸参府は、貿易の許可に感謝を表すための恒例の行事であった。

謁見の際に、将軍に様々なめずらしい贈物を献上するのが通例だった。1690年に日本にもたらされた消火ポンプもその献上品の一つだった。江戸には火事が多く、甚大な被害をもたらすことをオランダ人はよく知っていた。

それらの災害を食い止めるのに非常に役立つ消火ポンプを献上すれば、第5代将軍綱吉が喜んでくれるだろうとオランダ人は考えていた。

 

好評だった消火ポンプの実演

消火ポンプが舶載された時の商館長はバルタザール・スウェールスという人だった。彼は、オランダ人と日本当局との間の通訳や仲介を担当していた日本の通詞たちの要請に応じて、1690年8月27日に大勢の日本人の前で消火ポンプの実演を行った

この実演に対する日本人の反応について、スウェールスは日記に次のように記録している。「水があまりにも強い勢いで大量に屋根の上を越えて噴き上がったことに日本人皆がびっくりしていた。これらの消火ポンプが江戸で歓迎されることを彼らは確信していた」。

1690年10月5日に両長崎奉行が出島を訪れて、消火ポンプの実演を見学した。彼らもまた、消火ポンプが江戸で歓迎されるはずだと満足そうに言った。消火ポンプを江戸へ運ぶ任務は新商館長ヘンドリック・ファン・バイテンヘムに託された。

11月に通詞たちは消火ポンプの絵図を作成させた。老中に送るためのものだった。消火ポンプの江戸への輸送についてもファン・バイテンヘムと通詞たちの間で相談が行われた。

消火ポンプを拒絶する幕府

ファン・バイテンヘムは消火ポンプを、江戸へ送る準備を完了していたが、江戸参府に出発する直前の1691年1月5日に、長崎奉行から連絡があった。今回の参府では消火ポンプを将軍への献上品に含まないで欲しいという内容だった。長崎奉行・川口宗恒が消火ポンプの絵図を江戸へ持っていき、老中に相談した上で、翌年に献上すべきであるという判断だったという。

この後、商館長日記に消火ポンプに関する言及はしばらくない。ようやく、ファン・バイテンヘムと交代した新商館長コルネーリス・ファン・アウトホールンの日記に再び消火ポンプの件についての記述がみられる。

ファン・アウトホールンの日記(ハーグ国立文書館所蔵)

ファン・アウトホールンが、消火ポンプを江戸に送る指示の到来について通詞に問い合わせたところ、通詞は、そのような指示はなく、消火ポンプをバタフィアに送り返した方がいいと答えた。

ファン・アウトホールンはこの意外な展開に大いに驚いた。「消火ポンプは江戸で歓迎されるのではなかったのか」と彼は聞いた。しかし、通詞は消火ポンプの拒絶の理由については何も知らなかった。

1692年1月27日にファン・アウトホールンは消火ポンプに関する新たな情報を入手した。それによると、前年の江戸参府に際して、宗恒は消火ポンプの絵図を老中たちに提示したが、その後、ポンプを江戸へ送るべきかどうかについての回答は得られなかったという。

ファン・アウトホールンはこのような説明では満足しなかった。彼は長崎奉行の怠慢を疑っていた。「江戸では毎日火災が起こっているので、日本人にとって必要不可欠な素晴らしい発明を彼らが快く受け入れないことはまったく理解できない」と彼は綴っている。

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