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今だからこそ無理ばかりの「復興五輪」に抱いた強烈な違和感を示そう

なぜ、相反するものが一つになったのか

復興とオリンピックは相容れない

来年はいよいよ、東京オリンピックが開催される。

さて、2020年東京オリンピックは、「復興五輪」なのだという。

だがそれはいったい何からの復興なのだろうか。むろん、東日本大震災・福島第一原発事故からの復興だということは間違いない。でも、では誰の、何に向けた復興なのだろうか。

政府は「復興の迅速化」をスローガンにしている。

だが、オリンピックが、復興の迅速化と抵触することは当初から明らかだった。

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そもそも被災地では、土木建設部門での業者が不足していた。すでに工事費が暴騰しており、その費用拡大が懸念された。

問題は金目のことだけではない。土木建設業界における人材・資財の不足があり、さらに事業を発注する側の公共部門の人材にも限界があった。

こうした復興資源の絶対的な不足状況に、さらにオリンピックが重ねられれば、被災地の復興が停滞するのは火を見るよりも明らかだった。

30兆円超の巨大復興事業が進行しているところに、さらに大土木事業を伴うオリンピックを導入するなど、現実的な選択肢ではない。

復興に資するどころか、復興を妨げるようなオリンピックの導入を、なぜ政府は遂行したのだろうか。そして、これほどまでに矛盾した復興とオリンピックの関係に私たちは気付きながらも、なおもその矛盾を指摘する声があがらなかったのはなぜだろうか。

 

ここでは、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故からの復興政策と、オリンピックとの関係について、なぜこの相容れないはずのものが一つになったのかを社会学的に分析してみたい。

その分析のためにもまず前提となるのが、今回の震災・原発事故からの復興政策がどのように推移してきたのかである。

この点については筆者はすでに、いくつか論じたことがある(山下祐介『復興が奪う地域の未来』(岩波書店、2017年)など)。ここではその議論を簡単に振り返るところから論を始めることにしたい。