〔PHOTO〕iStock

クリスマスの乱痴気騒ぎを、萩原朔太郎が憎んでいたワケ

「現代日本の悪文化表象」

クリスマスの呪縛

クリスマスが「男と女の日」になってそこそこの時間が経つが、べつだん「男女の日」であることに意味があるわけではない。

日本におけるクリスマスというのは、ただの「お祭り」である。お祭りでしかない。

だからクリスマスらしく過ごしたいなら「ふだんと違う」というだけでいいんである。べつだん必ずフランス料理のコースを食べなければいけないという決まりがあるわけでないし、寒いのを我慢してイルミネーションを見ないと不幸になると決まってるわけではない。

男女二人きりで過ごす必要はない。そんなことは誰だってわかっている。もう、そんなことを考えるのはやめにしないか、とそこかしこで提案されている。

それでもまだ、クリスマスをロマンチックに、という縛りは消え去らないようで、なかなか面倒な呪縛だなとおもう。

〔PHOTO〕iStock
 

有効な代案がないのだろう。ロマンチック・クリスマスを越える企画がなかなかおもいつかない。多くの人がいいなあとおもえる「新しいクリスマスの過ごし方」がなかなか提案されてこない。祭りは、みんなが納得して、徐々に定着するものだから、そう簡単にはいかないのだ。祭りはそもそもが破壊的な部分を持っているもので、「素敵な破壊の提案」はなかなかむずかしいということだろう。

日本のクリスマスは、もともと子供向けのイベントである。

もちろん、キリスト教信者ではない日本人にとってのクリスマスは、ということだけど、日本にはキリスト教信者があまり多くないので(人口の1%ほど)、日本のクリスマスは、としていいだろう。