横浜市根岸競馬記念公苑にある「馬の博物館」(撮影/齋藤海仁・以下同)
# 科学史 # 競馬

サラブレッドの祖先は、キツネ並みの大きさだったって知ってた?

競馬発祥の地・横浜で馬の歴史を追う

冬の風物詩といわれるまでになった競馬のG1レース・有馬記念。1996年(平成8年)度には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げた人気イベントは、今年で64回めを迎えた。

すっかり競馬大国となった感のある日本だが、最初の洋式競馬が開催されたのは、幕末の横浜で、日本人は入場できない外国人専用のイベントだった。その競馬場のあった場所に「馬の博物館」がある。

その展示から見えてきたのは、「馬なくしては人類の発展はなかった」と言えるほどの馬の存在感の大きさだった。

 

靖国神社や不忍池でも競馬が!

ユーミン(荒井由美)の名曲『海を見ていた午後』に出てくる横浜のレストラン『ドルフィン』。その前の不動坂をのぼりきった丘の上に馬の博物館』はある。馬の博物館がある理由は、競馬発祥の地だから。ということで、展示は横浜の競馬の歴史からスタートする。

でも、あれ? 解説を読むと、ここが日本で最初の競馬場ではないみたい。

「横浜の開港後、すでにいくつか競馬場がつくられたんですが、治安の悪化とともに江戸幕府が1ヵ所でやってくれということで、慶応2(1866)年の末に根岸村に移されました。正確に言うと、日本初の“本格的な洋式競馬場”ですね。その前はいまの中華街の場所にもあったんです」と、案内してくれた学芸員のNさんは言った。

博物館の近くに残る旧横浜(根岸)競馬場のスタンド跡。関東大震災で1度と倒壊し再建されたもの。7階建て、収容人員は約2万人で、東洋一の威容を誇った。

へぇ、横浜は僕の地元だけれど、いまの中華街に競馬場があったとは知らなかった。当時は外国人が東京港に直接上陸できず、よく横浜で外交交渉も行われていたという。

「ここは密談にも使われていたんじゃないでしょうか。メンバーだけの社交場でしたから」

根岸競馬場の観覧席

そんな横浜に追いつけとばかりに、現在の靖国神社(!)である招魂社や上野の不忍池など、さまざまな場所で競馬が行われ、全国各地へ広がっていったそうだ。

◯◯が開発されてから、馬の家畜化が始まった!

続く地下の展示は「ウマ全般について」で、いちばんの疑問は当然ながら「ウマとはどんな生きものなのか?」ということだ。

まずはウマの進化から。展示場に入って左に標本がいくつか並んでいた。およそ5500万年前に登場した最初の祖先はキツネぐらいの大きさで、時代を経るにしたがってだんだん大きくなっている。

馬の祖先。大きさはキツネや中型のイヌくらいだ

「ウマの進化の特徴のひとつが足です。指は前後とも中指1本だけ。それと心臓ですね。人間と同じ体重のウマがいたとすると、心臓の大きさはだいたい1対10。大きなエネルギーを集中させるために、足先が小さい構造に進化しました」とNさん。

とにかく“逃げ足が速くなる”ことでウマは生き残ってきたわけだ。まさに逃げるが勝ち!

そんなウマの家畜化が始まったのは、ユーラシア大陸だった。「最初はウクライナ地方で、紀元前4000年頃と考えられている」という「世界を広げた馬」の説明を読んで、岩手県奥州市の『牛の博物館』に行ったときのことをフト思い出した。

「ウシと比べるとウマの家畜化は遅いんですね」

「そうですね。ウマの家畜化は○○の文化ができてはじめて発達するんです。つまり、文明社会じゃないとこの動物はいらないんですよ」

説明を聞いてタイヘン驚いたので、あえてクイズにしてみました。みなさんも考えてみてください。「○○」に入るのは?

畑を耕す「すき?」

いいえ。漢字2文字です。

じゃあ「人参?」 まさか……。

正解は「車輪」です。

そうだったのか!! 待てよ。てことは、直接ウマに乗るのはもっとあと?

「ええ、少しあとです。ウマの家畜化がメソポタミアとか西アジアとかでまず発達するのは車輪が開発されたからなんですよ。それも運搬用の馬車だけではなくて、戦車として使われました」

ウシやヒツジと比べると、反すう動物でないウマは消化効率が悪く、エサが余計にいる。しかも、大量の乳を供給してくれるという利点もない。そのウマをほかの動物と同じ目的のために飼う理由はない。ウマを家畜にする文化が発達するのはやはり「速く走れる」という特徴を活かしてこそだったのだ。