謙虚な奥ゆかしさ

こういう話になると、「欧米ではよくパートナーや自分の成果を自慢するけれど、日本はそういう文化じゃない。謙虚な国民性なんだ。奥ゆかしさだ」という反論をよく見かける。

たしかに、日本で幸せ自慢が「はしたない」「恥ずべきこと」だと受け取られる理由は、ある程度理解できる。

でも、家族を褒められたのに「でも夫は家だと……」と悪く言ったり、昇進したとき「人数調整でポジションもらっただけだよ」と言ったりする人は、本当に謙遜しているんだろうか? 奥ゆかしさから「たいしたことないよ」と言ってるんだろうか?

わたしには、そうは思えない。

「謙遜」のためではなく、まわりに嫉妬されないために自慢を避けているようにしか見えないのだ。自慢すると、嫌われてしまうから。

ここで恐ろしいのは、嫉妬する側ではなく、嫉妬される側が「あいつが自慢したから悪いんだ」「調子に乗っている」と加害者にされがちなことだ。だからみんな、「実は幸せなんかじゃないんです」と言わざるを得ない。

もちろん「夫の愚痴」として「でもうちはさ~」もあるかもしれない。でも「幸せ」と「不幸」のバランスを考えていることないだろうか(写真の人物と本文は関係がありません) Photo by iStock

これが奥ゆかしき謙遜文化の行き着く先だとすれば、なんとも悲しい話だ。

かといって「自分は不幸です」と言えば、「俺の方がつらい」だの「もっと寝てない人もいる」だのと最底辺争いが勃発する。場合によっては、「もっとつらい人がいるんだから弱音を吐くな!」とキレられたり、「その程度で不幸ぶるなんて許さない」という不幸評論家が登場するのだからやってられない。

日本ではたぶん、「ほどほどに不幸で愚痴が尽きない」くらいのポジションが一番楽なのだ。嫉妬もされないし、かといって惨めでもないから、一番立ち回りやすい。

「仕事も充実してるし、彼女とうまくいってるし、趣味もあるし、来月は1ヵ月バカンスだし、人生最高だぜ!」「そりゃ最高だな! バカンス楽しんでこいよ!」という会話が成り立つドイツにいると、日本は「抜けがけして幸せになるの禁止」圧力がとても強いなぁと思う。