講談社はなぜ「総合出版社」へと変貌したのか? シンプルな生存戦略

大衆は神である(81)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

社長となった野間省一は、「戦後生まれた女性誌のなかで最も秀逸」(大宅壮一)と評された『若い女性』を創刊。『群像』には新編集長を据えた。その後、美術書、週刊誌なども展開し、総合出版社へと変貌を遂げることに。その背景にあったのは……。

第八章 再生──総合出版社への道(1)

『若い女性』の創刊

左衛が亡くなって2週間後の昭和30年8月15日、未婚女性向け新雑誌『若い女性』が講談社から発売された。

当時の婦人誌は『婦人倶楽部』『主婦の友』のような家庭婦人向けが中心で、17〜18歳から22〜23歳の独身女性向けの実用雑誌はまだ出現していなかった。こうした未開拓の層に対象を絞り、彼女らが憧れるファッション中心の総合誌をつくろうというのが創刊の狙いである。

事前の社内公募で集まったさまざまな誌名の中から『若い女性』(得票数では8位)を選んだのは省一だった。彼の頭の中には、石坂洋次郎(いしざか・ようじろう)の青春文学『若い人』のヒロイン・江波恵子(えなみ・けいこ)の颯爽としたイメージがあったといわれている。

『若い女性』はそのコンセプトだけでなく、表紙の斬新さでも注目を浴びた。当時、カメラ雑誌以外での写真表紙は珍しかったが、『若い女性』創刊号の表紙を飾ったのは、のちに石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)夫人となる新進女優・北原三枝(きたはら・みえ)の顔をアップにした写真だった。

初々しい北原の顔を極端に左に寄せて左側4分の1をカットし、中央部に彼女が左手に持つリンゴをもってくる大胆なレイアウトである。しかも、モノトーン風のシックな色を背景に、誌名と北原の唇とリンゴの赤さが目に焼きつく。一度見たら忘れられない写真だった。

 

「田舎くさい」「時代がかっている」といった講談社に対する読者のイメージを、一挙に覆した表紙と言っていいだろう。5年後の「社内ニュース」で初代編集長の久保田裕(くぼた・ゆたか)が表紙写真採用の内幕を明かしている。

〈実はあの赤いリンゴの表紙は補案で、もう一つ安西郷子(あんざい・きょうこ。女優)をモデルにしたのがあってそれが正案だった。印刷所への新雑誌発表のとき、枯木も山の賑わいと補案をオソルオソル出したら、社長からそちらの方が良いと云われた。原稿はモノクロームで、おまけにバックと人物を貼りあわせた印刷所泣かせのものだったが、社長に良いと云われてから私はガゼン強くなり、あたかも正案のような顔をして、いまならとうてい考えられない人工着色による原色版印刷を敢行してしまった。創刊号の表紙のセンスが良かったとか目立ったとか今でも云われるが、実は補案だったことを、そろそろ時効だと思うので告白する註1〉