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日本の若者の「政治ぎらい」と〈政治教育〉の深い関係

ドイツにおける政治教育の考え方から

民主主義の「挫折経験」に学ぶ

もはや驚くべきことではないのが困ったものだが、2019年7月の参議院議員選挙でも半分以上の有権者は投票所に脚を運ばなかった。しかも若者の投票率はもう一回り低い。民主主義は過去のものとなりつつあるのだろうか? その言葉が輝いて見えた時期も、そう遠くない過去にあったはずなのだが。

 

この問いに対しては様々なアプローチが可能だが、本稿ではドイツの政治教育の視点から考えてみたい。

ちょうど100年前にヴァイマル共和国という民主主義国家を築いておきながら、それを安定させることに失敗し、ナチスによる全体主義体制を導いてしまったドイツでは、戦後、その失敗への反省も一つの動機となって、民主主義を守るための政治教育とその学が発展した

ナチス政権下、行進するドイツ軍に声援を送る人々(1938年)〔PHOTO〕Gettyimages

この政治教育学は、政治教育を持つ民主主義と、それを持たない民主主義とを区別する。また、そこでは、人間は学習を通して民主主義者になるのであって、民主主義者に生まれてくるわけではないとも言われる。

こうした思考は、ヴァイマル共和国を「民主主義者のいない民主主義」だったとする、しばしば目にする歴史理解によって裏打ちされると同時に、民主主義体制の維持にとって政治教育は不可欠であるとの確信を示していると言って良いだろう。

実際には、ヴァイマル憲法は公民教育についての規定を備えていたのであり、それを制定した人々も、民主主義国家を守るためには政治的知識の教育が重要であると考えていた。しかし、帝政時代に生まれ、古い教育を受けた教員をはじめとする多くの市民がそれを拒否し、少なくとも無関心な姿勢を取ったのだった。だからこそ戦後ドイツでは、民主主義体制が二度と自壊することのないよう、それを守るための政治教育に、より一層の重要性が認められたのである。