息子ではなく息子の学校を誇る父親

そうして挑んだ中学受験で、“幸運”にも思い通りの結果が出なかったりすれば、強い親子間葛藤の末に、親も非理性的信念を捨て去らざるを得なくなる。そこで親は成長し、子は「ソフトな洗脳」から解き放たれる。しかし“不幸”にも思い通りの結果が出てしまうと、「ソフトな洗脳」は続く

“不幸”な子どもは、親が自分自身を誇ってくれているのか、受験の結果得られた学校のブランドを誇っているのか、なかなか判断がつかない。□□中学や□□高校という大きな看板を外した自分にどんな価値があるのかわからない。不安ゆえ、ますますその看板にすがろうとする。親子して□□中学や□□高校であることを誇示する。

30代のある男性は苦い思い出を語ってくれた。「C中学に合格したとき、父親は鼻高々でした。学校の行事やPTA活動にも積極的に参加してくれました。“C中学に通っている”息子が自慢だったのです。でも私は東大に合格できませんでした。浪人しても早慶にも入れませんでした。すると父親は私と口をきいてくれなくなりました」。

なまじ息子が“できた”がために、その結果得られた学校ブランドばかりを見て、ありのままのわが子を認める親としての本当の強さを涵養できていなかったのである。それで、受け入れがたい状態にある息子を“なきもの”として無視してしまったのだ。

大学受験で満足な結果が得られなかった卒業生の中には、12歳のときの「□□中学合格」の看板を武器に中学受験塾でのアルバイトに精を出す者も多いと、ある中高一貫校の校長は言う。「中学受験塾ではそれだけで神様のように扱われますから、一時的に自尊心が満たされるのでしょう」。そのようなひとが人生に行き詰まったときにとる行動には共通点があるとも校長は指摘する。「医学部を受け直すとか、“受験”によって人生をリセットしようという思考にやりやすい」と言うのだ。

小学生のときの「成功体験」が自分の看板となってしまう Photo by iStock