1月 2日 生化学者で、SF作家のA・アシモフ誕生(1920年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

生化学者で、SF作家のアイザック・アシモフ(Isaac Asimov、1920–1992)が、ロシア西部スモレンスク州の村ペトロヴィッチで生まれました。

一家はロシアを中心としたソビエト連邦の成立後に、アメリカへと移住しています。

【写真】アイザック・アシモフ
  アイザック・アシモフ photo by gettyimages

移住後のアシモフ家はニューヨークのブルックリンで駄菓子の店を営み、決して裕福ではありませんでしたが、アイザックは学業優秀で、飛び級を重ねて、15歳でコロンビア大学に入学しました。

大学では、学部から大学院まで科学を専攻し、この間に幼少の頃より愛読していたサイエンス・フィクション(SF)雑誌『アメージングストーリーズ("Amazing Stories")』で作家デビューを果たし、続けて『われはロボット("I, Robot")』『夜来たる("Nightfall")』など初期の代表作を発表しています。

アシモフが提案した「ロボット工学三原則」

  • 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない
  • 第二条 ロボットは与えられた命令に服従しなければならない
  • 第三条 ロボットは第一条、第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない
【写真】ロボット三原則とはphoto by gettyimages

これは、その後のSF作品のみならず、現実のロボット工学にも大きな影響を与えました。ちなみに、ロボット工学(robotics)の単語はアシモフの造語です。

第二次世界大戦中の休学をはさんで、戦後に博士号を取得、コロンビア大学医学部の生化学の講師、准教授と科学者としての道を歩みました。その一方、SF小説のほか、一般向けの科学解説なども執筆し、徐々に作家としての地位を固めていきました。

しかし、執筆が忙しくなると、ほかの学者や教職者との摩擦が起こりはじめ、教授に昇任するのと前後して、コロンビア大学の籍を残したまま、教壇には立たなくなりました。

 

以後、科学ノンフィクションやSF小説のほか、推理ものなど多彩な執筆活動を繰り広げました。しかし残念ながら、心臓手術の際に感染した後天性免疫不全症候群(エイズ)によって、1992年に亡くなりました。

ところで、アシモフには『火星人の方法』という短編があるのですが、ここには私の同胞の生態が生き生きと描写されている……わけではなくて、火星に移り住んで世代を重ねた人間のお話でした。

  2004年には"I, Robot"をベースにした映画が、ウィル・スミスの主演で公開された