ラグビーW杯の熱狂から2ヵ月。被災地・釜石の人々の「大切な一歩」

W杯よりも困難な挑戦は続く
大友 信彦 プロフィール

大震災を経験した少女のリアルな、重い言葉

試合前。初冬の寒さに包まれていたスタジアム外周に、3人の若い女性が立っていた。釜石高校3年生の洞口留伊さん、佐々木千芽さん、スタジアムに隣接する震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」で働く菊池のどかさんだ。

 

東日本大震災のとき、留伊さんと千芽さんは鵜住居小学校3年生、のどかさんは釜石東中学校3年生だった。3人が通っていた学校は、今はスタジアムになっているこの場所にあり、津波に飲まれた。

震災講話をした、左端が菊池のどかさん、一人置いて洞口留伊さん、佐々木千芽さん
試合前、スタジアム横の石碑の前で、震災でも体験を語る三人

3人は、自分たちが震災のとき、どのような気持ちになり、どう行動し、どんな人に助けられ、今を迎えることができたかを、静かな、だけど確かな口調で話した。

「すごく寒い日でした。みんな、ジャージー1枚しか着ていないままで逃げてきたので、みんなでギュッと固まって、人の熱で暖を取っていました」

津波から必死の思いで逃げた高台の峠には、人家も商店も何もなかった。その上に、ほんの1週間ほど前に開通したばかりの高速道路(三陸自動車道)があった。そこまでいけば、津波はもう届かないだろう。そう思って急斜面を登っていったら、ちょうど通りかかったダンプが停まってくれた。

「よく生きてたな。頑張ったな」

そう声をかけられたとき「私は生き残ったのかもしれないな」とのどかさんは思ったそうだ。

震災を経験した当事者でなければ口に出せない、リアルな、重い言葉。

千芽さんは言った。

「私たちが通った学校がなくなったのはちょっとさみしいけど、そこにたくさんの人が集まるスタジアムができて、町の活性化に繋がるのはうれしい」

留伊さんは言った。

「釜石から、防災の大切さを世界に発信したい」

それらの言葉には、ワールドカップのときのような、たくさんの人が時間と費用をかけて準備した、手の込んだ演出とは違う、説得力があった。