11月16日に釜石鵜住居復興スタジアムで行われたラグビートップチャレンジリーグの試合前、東日本大震災の犠牲者に黙祷する両フィフティーン

ラグビーW杯の熱狂から2ヵ月。被災地・釜石の人々の「大切な一歩」

W杯よりも困難な挑戦は続く

2019年、日本を最も熱狂させたイベントといえば、なんといってもラグビーワールドカップだろう。大会会場となった12都市のスタジアムの中で、唯一この大会のために新築され、最も小さいスタジアムだったのが、岩手県釜石市の鵜住居復興スタジアムだ。

 

予定されていた2試合のうち、カナダ対ナミビア戦は台風のために中止となったが、釜石市は、東日本大震災の甚大な津波被害からの復興を通じラグビーの価値を高めたとして、ラグビーユニオンの国際統括団体であるワールドラグビーの年間表彰式でキャラクター賞(アワード・フォー・キャラクター)を受賞した。

あの熱狂から2ヵ月、釜石のスタジアムで大会後初の試合が行われた。その試合には、ワールドカップとは別の、そして大切な意味が込められていた。

W杯の象徴となった「釜石のスタジアム」

そこは、とても小さくて、とても温かいスタジアムだった。

2019年11月16日、岩手県釜石市。

釜石鵜住居〈うのすまい〉復興スタジアムでは、ラグビーのトップチャレンジリーグ、釜石シーウェイブス対コカコーラレッドスパークスの試合が行われていた。

ほんの2ヵ月前、そこは、世界3大スポーツイベントのひとつと呼ばれるラグビーワールドカップの会場のひとつになっていた。

2ヵ月前に行われた試合は、9月25日のフィジー対ウルグアイ。釜石まで、大会名誉総裁の秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻が観戦に訪れた。説明役には、2007年ワールドカップで、新興国アルゼンチン代表チームをキャプテンとして世界3位に引きあげ、40代の若さでワールドラグビーの副会長という要職に就いた、世界ラグビーの若きリーダー、アグスティン・ピチョットがあたった。

14025人の観衆が押し寄せたスタンドは、フィジー、ウルグアイ両国の応援ジャージーだけでなく、たくさんの国のレプリカジャージーや応援シャツ、マフラー、国旗で埋め尽くされた。スタジアムを訪れた誰もが、その特別な日の空気に昂揚感をあらわにしていた。それは、2万人近い犠牲者を出した東日本大震災の被災地に作られたスタジアムに、そこで開催にこぎつけたワールドカップに、世界じゅうのラグビーファンが、スポーツのファンが共感を持ち、その場を訪れたいと願ったことを示していた。

釜石にはもちろん、岩手県中を見渡しても、フィジーにもウルグアイにも縁のある人はほとんどいなかった。だが、釜石市民、岩手県民は、両国を自分の国のように温かく迎えた。スタンドを埋めた地元の小学生中学生は、試合前には震災時に世界から寄せられた支援への感謝を込めて自分たちで作った歌「ありがとうの手紙」を合唱した。選手入場後の国歌吹奏では、声を合わせてよその国の国歌を歌い、試合中は休むこと泣く両国に向かって「がんばれ、がんばれ」と叫び続けた。

国境を越えた友情、連帯――2019年、日本中を興奮させ、感動を呼んだラグビーワールドカップにおいて、釜石はまさしく象徴的な場所だった。

あれから2ヵ月が過ぎた。再び訪れた釜石鵜住居復興スタジアムは、すっかり姿を変えていた。14025人を飲み込んだスタンドは、鉄骨むきだしだった仮設席が撤去され、土盛りされたメインとバックスタンドのみの6000席の小さなスタジアムに変貌していた。

仮設スタンドが取り払われた現在の釜石鵜住居復興スタジアム
ゴールの向こうには、紅葉する山と青空が広がっていた

ゴールポストの裏で、小中学生たちが小旗を振りながら声を枯らしていたスタンドは跡形もなく消え失せていた。フルカラーで試合の名場面をリプレイしていた大型ビジョンは、ワールドカップの試合が終わるとただちにレンタル業者のもとへ返却されていた。ワールドカップのとき、スタジアム内外に掲げられていた、世界規模で事業を展開するグローバルなスポンサー企業のロゴ入り看板も消え失せていた。

だけど、そこは、ワールドカップとはまったく違う種類の、温かいスタジアムだった。