家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?

『家族を想うとき』が描く非情な現実
河野 真太郎 プロフィール

問題としての家族、希望としての家族 

本稿で私が示唆したかったのは、現代に特有なものに見えるかもしれない家族の孤独=「拡張された家族」の解体には、長いプロセスがあったということだ。それは1950・60年代の福祉国家期から生じたプロセスであり、サッチャーの新自由主義はいわばそのバトンを受け取って、家族を市場における「自由競争」の単位へと変えていった。

1966年の『キャシー・カム・ホーム』から2019年の『家族を想うとき』にいたるまで、ケン・ローチはその長いプロセスを見つめ続けた監督なのだ。 

 

最後に、日本に目を向けて、ケン・ローチを「師匠」と仰ぐ是枝裕和監督もまた、貧困や階級と家族との関係を問い続けた監督であり、ローチに並んでパルム・ドールを獲得した『万引き家族』は、血縁や地縁が失われた現代において「拡張された家族」を想像するひとつの試みだったことを指摘しておきたい。

また『そして父になる』でも、中流階級と労働者階級の分断の乗り越えと、新たな家族コミュニティの可能性が示唆された。これは多分に想像的なもので、社会的・構造的な問題に対する「解決」になっていないという批判もあるかもしれない。それはじつはケン・ローチも同じで、『家族を想うとき』には、1980年代にはあった労働者階級の連帯の記憶だけは語られるものの、現状からの脱出口が示されることはない。 

しかし、ローチと是枝の両者が述べるように(NHK BS1スペシャル『是枝裕和×ケン・ローチ 映画と社会を語る』)、映画は解決策を示すためにあるわけではない。まずは、問題を示すためにあるのだ。同じように私たちは、「家族」を問題の解決としてではなく、問題そのものの表現として捉えていかなければならないだろう。新自由主義の分断を乗り越えたコミュニティを思考する手がかりとして。 

参考文献 
・Lawrence, Jon. Me, Me, Me?: The Search for Community in Post-war England. Oxford UP, 2019. Kindle. 
・Sillitoe, Alan. Saturday Night and Sunday Morning. Vintage, 1958.(『土曜の夜と日曜の朝』永川玲二訳、新潮社、1979年) 
・Young, Michael and Peter Willmott. Family and Kinship in East London. Routledge, 2011. Kindle.

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