家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?

『家族を想うとき』が描く非情な現実
河野 真太郎 プロフィール

拡張された家族 

だが、ずっとそうだったのだろうか。歴史をさかのぼってみよう。 

ここで私が注目したいのは、新自由主義のはじまり(サッチャーが件の宣言をした1980年代)ではなく、さらにさかのぼって1950年代から60年代である。 

5・60年代イギリスといえば、戦後の緊縮体制が終わり、「スウィングする60年代」という言葉が象徴するように、大量生産・大量消費を背景とする、完全雇用の福祉国家が実現した時代とされる。この時代の家族、とりわけ労働者階級家族には何が起きていただろうか。ここで、ある子供が語ったとされる台詞を引用してみる。 

「先生が僕たちに、家族の絵を描くように言ったんだ。僕はお父さんとお母さんと、ミッキーと僕の絵を描いた。でも、おかしいんだよ。ほかの子たちはおばあちゃんやおばさん、おじさんとかそういう人たちも描くんだもの。」

 

これは、1957年出版の、マイケル・ヤングとピーター・ウィルモット著『イースト・ロンドンにおける家族と親族』からの引用だ。マイケル・ヤングといえば、本連載の3回で、「メリトクラシー」という言葉の生みの親として登場してもらった社会学者である。 

ヤングとウィルモットは、イースト・ロンドンの労働者階級地域に住み込んで聞き取り調査をし、『イースト・ロンドンにおける家族と親族』を書いた。二人の当初の関心事は住宅問題であったが、本書は労働者階級の中に存在した、「拡張された家族(the extended family)」の発見と記述を中心とすることになる。 

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さて、述べた通り、ヤングはイースト・ロンドンのベスナル・グリーンに住み込んで調査をしたわけだが、引用した子供とはほかならぬヤングの息子である。ヤングは労働党の同伴知識人だったとはいえ、社会学者であり知識人であるという時点で中流階級だった。

その中流階級の息子が、学校で「ほかの子たち」(つまりその地域の労働者階級の子供)が家族の絵を描けと言われて父母と兄弟姉妹、つまり核家族の外側の人間を「家族」として描くことに驚いているというわけだ。 

実際、『イースト・ロンドンにおける家族と親族』は、労働者階級のこの「拡張された家族」がいかに形成されて機能するのかを、活き活きとした経験の水準で描いてみせる。 

ここには一種単純な二項対立が見て取れる。つまり、中流階級の核家族に対する、労働者階級の「伝統的」な、親族関係や近所関係でおたがいに助け合いをする拡張された家族、という二項対立だ。 

確かに、イギリスの労働者階級小説を読んでいると、中流階級の核家族を前提としていたのでは理解できないような家族関係が頻出する。単に親族や近所が家族的だというだけではなく、婚外子や極端な場合には近親相姦的な関係といったモチーフがしばしば見られるのだ。 

この線で『家族を想うとき』を解釈することは、確かに魅力的だ。つまり、1950年代にはまだ存在していた「拡張された家族」は、コミュニティとして個人を守ってくれる存在だった。しかし、1980年代以降の新自由主義がそれを破壊してしまった。『家族を想うとき』はその結果生じた状況を描いている、と。 

しかしながら、どうもこれは単純にすぎるかもしれない。 

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