家族が「贅沢品」になる時代……誰が“個人”を守るのか?

『家族を想うとき』が描く非情な現実
河野 真太郎 プロフィール

家族は「贅沢品」と化した

この映画の第一の主題はUBERやAirbnbの名前と結びつけられることの多いギグ・エコノミーである。ギグ・エコノミーにおける労働者は、実質的には「本部」にひどい搾取をされるのだが、雇用契約を結ばず個人事業主として徹底的に個人化されているため、法的・集団的に自分たちを救済することができない。コンビニのフランチャイズの店主たちの過酷な労働の問題など、日本でも同じことが起きている。 

リッキーもまさにそのような労働者である。息子のセブが問題を起こし始め、介護労働にアビーは疲れ果て(過酷な、ゼロ時間契約のもとでの介護労働もこの映画の主題のひとつだ)、ギスギスしはじめた家族環境に娘のライザ・ジェーンが精神的に不調をきたしたとき、リッキーは家族を立て直すために1週間の休暇を乞うが、それは許されない。

個人事業主とは名ばかりで、仕事を休めばリッキーには制裁が待ち受けているのだ。 

そしてなんといってもこの物語の悲しい部分は、リッキーが家族を守ろうとするにもかかわらず、というよりは、家族を守ろうとするがゆえに、なおさら苦境に陥ってしまうことである。

これはネタバレになるので伏せるが、なんといっても悲しいのは娘のライザ・ジェーンのある行為だ。これは映画を観て確かめていただきたいが、家族を守りたいという純粋な動機からの行動が、家族を危機に陥らせてしまう。 

photo by iStock
 

問題は、この新自由主義の時代において、家族が個人を守ってくれるコミュニティとなっていないことだ。むしろ家族は個人と同様に競争の単位になっている。勝ち組は幸せな家族を築くだろうが、負け組の家族はバラバラになってしまう。これは、家族が「贅沢品」と化した現代の日本でも同じだろう。

その意味で、サッチャーがその新自由主義宣言において、個人と家族を同列においたのは慧眼であり皮肉である。家族は、個人と同様に、「社会」によって守られることはない。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/