挫折は人を強くする。ただし逃げずに向かい合うことを忘れてはならない。
僕はアマチュア時代に6敗している。81戦して75勝(48KO、RSC)6敗が成績である。国内で3敗、海外の国際試合で3敗。ロンドン五輪のアジア予選でも敗れ、目標に掲げていた五輪には出場できなかった。
当時、18歳。今振り返ってみると、あのときの覚悟は「何が何でも五輪に行く」ではなく「行けたらいいなあ」くらいの甘いものだった。負けて当然、行けなくて当然である。
五輪のアジア予選では、カザフスタンの長身のサウスポー、ビルジャン・ジャキポフに敗れた。世界選手権の銅メダリストだったが、技術で負けたというよりも僕自身のスタミナ切れだった。体力負けだった。体重は同じでも、こっちは、まだ肉体的に未完成の高校生で、相手は成熟した大人。父の練習メニューをもっと濃密に詰めていれば、その差は克服できたのかもしれなかった。
「まだまだやれる」。不完全燃焼だった。やれるのにやらなかった我が身に腹が立った。「もっと追い込めただろう」。自分を問い詰めた。
4年後、リオ五輪に再挑戦するのか、それともプロへ進むのか。人生の大きな転機を前に迷いはなかった。あと4年はあまりに長い。ようやく国際試合での勝ち方がわかりつつあったし、もしリオ五輪を狙うのならば、今度こそ出場できる自信はあった。メダルも取れる。
まだやれる感は、あのアジア予選に負けたときに実感として持った。
だが、リオ五輪で金メダルを獲得したとしても、それは名誉でしかない。その4年間があれば、プロの世界でチャンピオンになれる。そして何より僕のボクシングスタイルもプロ向きだった。父は、すべての決断を18歳の僕に委ねてくれたが、内心は、僕のプロ転向を待っているようだった。
僕は、五輪に出場できなかった理由をプロの世界へ宿題として持っていくこと にした。
父に言われて、やらされている練習では勝てない。自分から湧き出る主体性を持ち、自分からやらねば本物にはなれないのである。プロでの敗戦は、アマチュアの負けとは重みが違ってくる。「やらされるのでなくやる」——なのだ。