近鉄の本拠地・大阪ドーム〔PHOTO〕WikimediaCommons

近鉄バファローズ、2001年「奇跡の優勝」を生んだスゴすぎる戦略

中村、ローズ…いてまえ打線が大爆発!

近鉄バファローズというチームが解散して15年が過ぎた。近鉄と言えば、多くの人の記憶に残っているのは、2001年の「奇跡の優勝」だろう。その年、近鉄に何が起きたのか。『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』を上梓した元永知宏氏が振り返る。

 

「打ち勝つ野球」に振り切った

理想を捨てたからこそ、得られる成果がある。

1989年にリーグ優勝した近鉄バファローズは、10年間でまったく別のチームに変わり果てていた。エースだった阿波野秀幸も、“トルネード投法”の野茂英雄も、パ・リーグを代表する四番打者だった石井浩郎も、みんな抜けた。自由契約でメジャーリーグに渡った野茂の穴を埋めるピッチャーはいなかったし、トレードされたほかの選手の交換要員には、チームを立て直すほどの力はなかった。

ドジャースに移籍した直後の野茂〔PHOTO〕Gettyimages

1999年に最下位に沈んだチームの再建を託されたのが、二度のリーグ優勝を経験し、近鉄ひと筋で現役生活を終えた梨田昌孝だった。だが、彼が引き継いだチームに10勝ピッチャーはひとりもおらず、チーム防御率はリーグ最下位の4・54。

就任1年目の2000年、梨田は「機動力野球」を掲げ、守り勝つ野球を目指した。キャッチャーとして野球に携わってきた経験に裏打ちされた「勝利のセオリー」があった。しかし、成績は散々だった。開幕から低空飛行が続き、58勝75敗2分、勝率4割3分6厘で最下位に終わった。