なぜ「私」は、同一の「私」でいられるのだろう?

記憶と時間をめぐる謎に迫る
青山 拓央 プロフィール

それは対象エピソードとメタエピソードとのセットである、と考えるのは、検討に足る一つの方針だ。このとき、メタエピソードの主体はつねに、エピソード記憶の所有者である「私」だが、先述の通り、対象エピソードの主体がその「私」であるとは限らない。もちろん、対象エピソードの主体がその「私」であることはとても多いが。

 

類人猿は何を覚えたか?

 いま述べたことの確認を兼ねて、狩野文浩氏と平田聡氏による次のユニークな研究を見てみよう。チンパンジーとボノボに短い自作映画を見せ、そこでの印象的な出来事を次の日まで覚えていられるかを調べる研究である。

なお、その「印象的な出来事」とは、登場する二人の人間のうちの1人が、着ぐるみのキングコングに襲われる、というものだ。

実験の結果、チンパンジーとボノボは一度見ただけの印象的な出来事を翌日まで覚えていられることが示唆されたが、これはエピソード(様)記憶の研究にとって注目すべき成果である。

類人猿は大切な記憶を覚えていられるか(photo by iStock)

チンパンジーとボノボという類人猿が対象であることも重要だが、さらに、カケス等を対象とした多くの先行研究と異なり、報酬(正確には強化子)となる食物を実験に使用していない点も興味深い。

人間にしか認識できないこと

そのことを十分にふまえたうえで、この実験で類人猿が何を記憶したのかを再考しよう。それは、(映像のなかで)キングコングがある人間を襲うという一度限りの出来事であった。他方、この実験で類人猿が、その出来事を自分自身が見たことを覚えているかどうかは分からない。

先述の表現を使うなら、類人猿は(自分自身を主語としない)一度限りの対象エピソードについての記憶を所有できるようだが、自分自身を主語とするメタエピソードについての記憶を所有できるのかどうかは分からない。

さて、類人猿の代わりにヒトである私が、この実験を受けたと仮定しよう。そのとき私は、一度限りの経験によって、対象エピソード(キングコングの襲来)とメタエピソード(私がそれを見たこと)をともに記憶できるが、ある意味では、私はさらにそれ以上のことを認識している。

というのも、これらのエピソードを思い出す際に私は、メタエピソードの主体である私が、それを想起している私と、同一の主体であることも認識しているからだ。

ビデオカメラで見るように

当たり前のようで、これは不思議なことである。対象エピソードの主体(キングコング)と異なり、メタエピソードの主体(私)は、その特性が──たとえば日本人の男性であることが──エピソードの内容に普通は反映されていない。事件現場を撮影しているビデオカメラが、普通はそのカメラ自身を撮影してはいないように。

だから、メタエピソードの主体が、それを想起している主体と同一であることは、通常、何らかの特性の比較によって確証されたのではないはずである。