12月27日 日本初の航空母艦「鳳翔」が竣工(1922年)

科学 今日はこんな日

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日本最初で、世界でも新造艦としては初となる航空母艦(空母)「鳳翔(ほうしょう)」が1922年のこの日、竣工しました。

鳳翔は、浅野造船所(横浜市、現・ジャパン マリンユナイテッド株式会社に統合)で起工し、横須賀海軍工廠で進水・竣工したものです。

空母は、多数の飛行機を積載し、発進・着艦用の広い甲板をもつ軍艦です。飛行甲板上に障害物のないフラッシュデッキ型と、司令塔や砲塔などの上部構造物(片舷または張出しを構築)をもつアイランド型があります。

 

竣工時の鳳翔は右舷に3本の煙突とともに艦橋を配置したアイランド構造でしたが、もともと小振りな船体に加えて、艦載機も大型化してきたので、飛行甲板の幅を確保するために、改修時に前方両舷に変更されました。

第一次大戦時から間もない当時は、日英同盟の関係から、技術支援や艦載機の離着艦に関する指導など、イギリスから支援を受けました。

鳳翔の飛行甲板での離・着艦は、南アフリカ出身の英国パイロットのウィリアム・ジョルダン(William Lancelot Jordan、1896-1925)によって行われました。しかし、それに続いて行われた試験飛行では、日本人の吉良俊一大尉(きら・しゅんいち、1889-1947、最終階級は中将)が挑戦し、一度目は落水したものの、2度目には成功し、日本人初の空母での離・着艦を成し遂げました。

鳳翔は、その後も改造、改修を重ね、上海事変では実戦にも参加しました。ですが、1944年の改修によって、前方視界が著しく不良になるなどしたため外洋後悔に支障が出て、艦載機訓練が主任務となって、そのまま終戦を迎えます。

戦後は復員船などに活用された後、1946年から1947年にかけて解体されました。

【写真】鳳翔
  鳳翔(竣工時の姿) photo by public domain