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親が年老いたあと、残された「知的障害者」はどう生きるのか

「老障介護」を孤立させないために
障害を持つ子どもは、多くの場合その親に世話をされて生きています。
親が元気なうちは子どもの面倒を見ることができても、親が歳を取ってきて体の自由が効かなくなる日はいつか必ずやってきます。そんな日が来たとき、知的障害者はどうやって生きていけばいいのか──。

いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』の著者である小児科医の松永正訓さんが、知的障害の子どもを抱える母親たちに直撃。将来への不安と、これからの展望をうかがいました。

「老障介護」のいま──老いた障害者と、老いた親

あなたの子どもに重い障害や病があったとき、あなたはそのことを受容できるでしょうか? このことは、私にとっても人生を通して考え続けなければならない難問です。この10月には、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)という本を上梓しました。

この本は38個の話から成り立っています。幼い命の尊さと、それを守る難しさが主軸になっています。

この本で書ききれなかったことの一つに、障害児がやがて大人になり、そして高齢になったとき、親が子の生活をどう考えるかという問題があります。

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私は、親と子が老々介護の関係に入りそうになっている障害者家族に話を聞いたことがあります。

医療的ケアまでは必要なくても、日常のサポートを必要とする障害者に対して、年老いた親の負担は年々増加していきます。ある調査によれば、障害者のおよそ60%は、親と同居しているそうです。つまり「老障介護」です。

障害者が独立していない理由はいくつかの要因が重なり合っていますが、私の経験上、「自分(親)が元気なうちはわが子を少しでも手もとに置いておきたい」という人が多いように感じます。

障害者が働く軽作業所にて

私が訪れたのは、千葉市内の民家の一部を改装した軽作業所です。20畳くらいの大きな部屋の中央に大型の作業机が置かれており、40歳前後の数名の知的障害者たちが、指導員の手伝いのもとで手を動かしています。

私はみんなに大きな声で挨拶をしましたが、誰からも返事はありませんでした。コミュニケーションの力が弱いのか、恥ずかしがっているのか、私には判然としませんでした。指導員の方が申し訳なさそうに、私に向かって苦笑を浮かべます。

 

別室では、後期高齢者といった感じの母親たちがテーブルに集まってお茶を飲んでいます。あらかじめ、「これまでの親子の生きてきた道を教えてください」とお願いしていたので、スムーズに話が出てきます。

39歳の男性の母親・Aさんに話を聞かせてもらいました。この男性が1歳になる前、喉頭蓋炎という重い感染症を引き起こし、窒息状態に陥りました。大学病院に搬送されると、その場で緊急気管切開になりました。しかしこの時すでに低酸素脳症で脳に重いダメージがありました。気管切開をし、のどにはカニューレ(L字型の樹脂製のチューブ)が差し込まれました。

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Aさんはカニューレの交換の仕方を看護師から教わり、1日も欠かさず交換を続け、また、痰の吸引もできるようになりました。この生活が1年以上続き、子どもは心不全にも肺炎にもなりました。何度も命の危機を経験し、我が子の生命を諦めそうになったときもあったと言います。カニューレは1年で外れましたが、重い脳障害が残りました。

ある日突然、娘が知的障害に

43歳の女性の母親・Bさんの話も聞きました。娘さんの発症は12歳の冬。風邪を引いていた娘さんはある日突然意識を失って倒れました。市立病院へ運ばれましたが、昏睡が続きました。やがて意識が戻ってきましたが、記憶はあいまいでした。失語症になり、知能は3歳程度だと診断されました。

もっとも疑われた病気はインフルエンザ脳症でしたが、インフルエンザウイルスの感染は証明できず、結局原因不明の脳炎という診断になりました。病状は徐々に回復を見せて普通の学校にも通うようになりました。

しかし20歳の頃からてんかん発作を何度も起こすようになりました。静岡てんかん・神経医療センターに1年6ヵ月間入院しましたが、改善はありませんでした。Bさんはせめて子どもに仕事をしてほしいと思い、この作業所に出会いました。今でも作業中に時々てんかん発作が出ます。知能障害はそれほど重くありませんが、理解力が弱いとBさんは言います。