日常の延長線上にある幸せ
―ライオンの家には「おやつの時間」があります。入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできることになっています。
おやつも日常の延長ですよね。でも「最後の食事」と「最後のおやつ」はちょっと違います。
食事は肉体的な欲求と結びついていますが、おやつは必ずしもそうではない。そして、おやつの記憶がある人生とない人生では豊かさが違います。
おやつは幸せや喜びの記憶と結びついているものなんです。「最後のおやつ」は「自分の人生にもこんなに素敵な時間があったんだ」と思い起こす縁になるようにと思ったんです。

―雫は、同じ入居者たちの豆花(台湾の豆乳デザート)やカヌレ(フランスの焼き菓子)といった思い出のおやつや人生に触れながら、彼らの死にも直面。自分の死への葛藤を深めていきます。
雫はリクエストしたいおやつをなかなか決められないんですね。同時に身心も衰えていってしまう。雫の身体が刻々と変化していく過程、感情の揺れや心境の変化はできるだけリアルに描きたいと思いました。
私も死に直面したことがないのであくまでも想像ではあるのですが、それでもやっぱり、最後まで死から逃れようとする感情は自然に出るものだと思います。
―フィクションだからこそリアルに感じられる感情や死の実感があるように思いました。気難しい老作詞家のあがきなどは、たくさんある切ないシーンのひとつです。
この物語を書き始める前に、ターミナルケア(終末医療)をなさっている医師の方にお話を伺いました。
私はそれまでホスピスではみなさんが淡々と死を受け入れておだやかに過ごすものかと思っていましたが、運命から逃れようともがく人も少なくないそうです。でも、その時に「生きている限りは変化するチャンスも、可能性もある」と教えていただきました。