テスラの成功が示した「営業マンはもういらない」の残酷な現実

ある資本家からの問いかけ②
三戸 政和 プロフィール

戦略があれば営業はいらない

そろそろ、テスラの話で私が伝えたかったことのまとめに入っていこう。

繰り返すが、テスラは営業活動を止め、「営業による公害」を生まない会社になった。テスラは営業をしないでも十分に勝っていける。それを可能にしているのはイーロン・マスクの営業戦略だ、ということを述べてきた。

この記事では「営業」について、「潜在顧客を発掘し、コミュニケーションによって顧客ニーズをヒアリングし、商品を提案し、価格などの条件を交渉して、販売をまとめること」と定義してきた。

そしてここで「営業戦略」についても定義しておきたい。この記事では、営業戦略について、「その企業が競合よりも優位に立ち、自社の商品を売るための指針」と定義する。

つまり「営業戦略」は企業全体の指針になる。市場ニーズを探ったり、商品の設計を考えたりするいわゆるマーケティングは、戦略の方向性に従って戦い方を組みたてる「作戦」に当たる。そして、実際の戦いとなるのが「戦術」であり、この記事で言うところの「営業」に当たる。

戦略とはその文字が示すように、「戦」いを「略」するためのものだ。上位概念である「戦略」が正しければ、下位概念である「作戦」や「戦術」を使った戦いは避けられる。

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しかし川上が悪い方向にずれれば、それが小さなミスであっても、川下は大きな影響を受ける。水の流れを川下から修正するには、膨大なエネルギーが必要になる。川下の「営業」に大きな負担が掛かっているとしたら、川上の「戦略」のどこかが間違っているのだ。

ここで、経営学の巨人、ドラッカーの有名な言葉を引いておきたい。ドラッカーはその著書の中で、

「マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、自ずから売れるようにすることである」

「販売とマーケティングは逆である。同じ意味ではないことはもちろん、補う部分さえない。何らかの販売は必要である。だが、マーケティングの理想は販売を不要にすることである」

と述べている。

ドラッカーの言う「Marketing」をどう訳すのかは常に議論になるところだが、ドラッカーがここで言う「マーケティング」とは、この記事で言う「営業戦略」に当たると私は考えている。そしてドラッカーの言う「販売」は、この記事で言う「営業」に当たる。要するに、ドラッカーも、営業戦略が正しければ、営業は不要だと言っているのだ。

イーロン・マスクの営業戦略とは

翻って、イーロン・マスクはどうか。彼は地球環境とエネルギーの問題に敏感であり、持続可能なエネルギーを使った交通手段の確立のために、一貫してEVが社会に必要だと考えてきた。

しかしテスラ以前のEVは、「遅くて、ダサくて、航続距離の短い」車だった。EVを社会に普及させるには、EVに対する世間の固定概念を打ち破る、「速くて、格好良くて、航続距離の長い」EVが必要だった。そんなEVを作る、それが彼の営業戦略だ。そしてそれを作ったからこそ、テスラのEVは市場に受け入れられた。

そしてもうひとつの営業戦略が、完全自動運転による車の「箱」化だ。イーロン・マスクは完全自動運転実現のために必要なリソースを揃え、その歩みを着実に進めた。詳しくは触れないが、自動運転のために重要な半導体チップも、テスラは独自に開発している。

今後、車にとって必要なのは、そのスピードやパワー、制御技術の高さなどではなくなるはずだ。移動産業が見据えるべきは、人々が快適な「移動」のために何を必要とするかだ。さらに言えば、移動の箱の中で過ごす時間を、どうマネタイズするかを考えなくてはいけない。これを的確に捉えているのがテスラなのだ。

つまりイーロン・マスクは、所与の条件の中で、この社会に本当に必要なもの、人々の生活に必要なものを明確に描き、それを形にした。それがすなわち彼の営業戦略になった。それが社会や人々の求めるものと一致したからこそ、テスラには営業が不要になったのだ。