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「本能寺の変」は、上司信長の「パワハラ」が原因か? 歴史を解く

デキの良すぎる男、明智光秀

9番バッターに落とされた光秀

四番バッターとして、打率、打点、ホームランと、すぐれた成績を誇っている選手が、ワンマン監督に、「おまえの打順を、九番に落とす」と、いきなり通告されたら、どんな気分になるだろう?

「監督は、おれを嫌っている」と落胆し、腹を立て、悶々とその夜を過ごし、「このチームにはいられない」あるいは、「もう、野球はやめた」と決意するのではないだろうか。

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織田家中で、秀吉と並び、一、二を争う武将であることを自認していた明智光秀は、ある日、主君の信長に安土城に呼びだされ、いきなり、こう言い渡される。

「光秀、高松城に行き、秀吉をたすけよ」

 

通告その一である。あろうことか、ライバルの秀吉をたすけよ、と命じられたのだ。これだけなら、まだしも、通告その二として、こう付け加えられる。

「坂本城と丹波をめしあげる。かわりに、出雲と石見を切り取り放題にせよ」

天正十年(一五八二年)、五月十七日のことである。日本人なら誰もが知っている光秀の謀反、「本能寺の変」が起きたのは、それから十五日あとだ。

どうして、光秀は信長を討ったのか? その最大にして、直接の理由は、ここにあると思われる。

いかに信長が、有無を言わせないワンマンであったとしても、十七日の命令、とりわけ、通告その二は、光秀にとって、あまりにも理不尽なものだった