なぜ雅子さまは「涙」を流したのか? その意味を読み解く

歴史の凝縮であり、未来を象徴するもの
河西 秀哉 プロフィール

あの日の涙が意味するもの

しかし、平成の天皇の退位が近づいたころから、皇太子・雅子妃に関する好意的な報道も次第に増え始めた。令和になり、雅子皇后への注目はより集まっている。人々に触れあうときに笑顔を見せ、積極的に会話をする皇后は、病気から回復したようにも感じられる。

そうした「復活」を歓迎し、人々はそのキャリアを活かした活動が行われるのではないかと再び期待しているのではないか。

ただそれだけでもないようである。東日本大震災の被災地で被災者と向き合う姿は、皇族として見舞うというよりも、どこか同じように苦しんできたことを共感し合うようにも見える。人々は、雅子皇后が来てくれてありがたいというよりも、一緒にこれまでの苦労を分かち合っているのではないか。人々も、目の前にいる雅子皇后がこれまで困難を抱えてきた存在であることを知っているからである。

〔PHOTO〕gettyimages
 

だからこそ、雅子皇后は涙を流したのである。国民祭典では、人々は天皇の即位を祝い、皇居前広場を訪れた。

そして、嵐による「奉祝曲」は徳仁天皇の研究テーマである水をテーマに、これまでの歩みを歌っているかのようにも思える。「僕らは君のそばにいる」という歌詞は、国民と寄り添うという天皇の姿勢とも符合する。雅子皇后は、人々が自身を励ましてくれているように感じたのではないか。

翌日のパレードでも、多くの人々が沿道に集まり、そして天皇皇后に声をかけた。自分たちのためにやって来た人々の声を聞き、まさに励まされたのだろう。だからこそ雅子皇后は涙した。

12月9日、56歳の誕生日を迎えた雅子皇后は、「多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております」「多くの方々から温かいお気持ちを寄せていただいたことを嬉しく、またありがたく思い」「これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います」との感想を寄せた。国民に励まされる皇后の姿と言えるだろうか。

この涙は、雅子皇后のこれまでの歴史を凝縮したものであるとともに、これからの人々と天皇皇后の関係性を象徴するもののように思えるのである。

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